釣常雄

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出身地 日本の旗 日本 兵庫県
生年月日 1917年9月9日
没年月日 (1996-07-25) 1996年7月25日(78歳没)
身長
体重
170 cm
68 kg
釣 常雄
基本情報
出身地 日本の旗 日本 兵庫県
生年月日 1917年9月9日
没年月日 (1996-07-25) 1996年7月25日(78歳没)
身長
体重
170 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1938年
初出場 1938年5月7日
最終出場 1940年8月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

釣 常雄(つり つねお、1917年9月9日 - 1996年7月25日[1])は、兵庫県姫路市出身[2]の元プロ野球選手

飾磨小学校在学中から、周囲では名が知られた存在だった[2]。そこに目をつけた姫路中学が、野球部強化のため、釣を含む飾磨小学校の選手複数人に入学を働きかける[2]。しかし、当時の姫路中学は進学校として知られており、全員が不合格となってしまう。困り果てた姫路中学側は、その中で最も点数が高かった釣だけを強引に入学させたという[2]

姫路中学時代は1936年の選抜にチームを導く。初出場ということもあり姫路市民からの期待は大きく、当時姫路の連隊に所属していた賀陽宮恒憲王からも激励の言葉を受けたという[2]。同大会は、初戦で平安中学に惜敗した。

その後は関西大学に進学するが、1938年に中退し、大阪タイガースに入団。同年の春季リーグに2勝を挙げる。球威はあったが、ノーコンで投球回数が47回3分の2に対し四死球が52ある。1940年に召集され退団[3]。中国戦線を転戦した[2]

戦後は、清涼飲料水製造の唐崎産業に就職し、1947年には唐崎クラウン国民野球連盟)にも参加。

その後は日本電研の役員を務めた[2][4]

1996年7月25日に死去。78歳没。

オリックス釣寿生とは同姓で同じ姫路出身だが、血縁関係はない[5]。しかし、寿生の両親とのご近所付き合いはあったという[5]

詳細情報

脚注

関連項目

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