鈴木博 (撮影監督) From Wikipedia, the free encyclopedia 生年月日 1898年没年月日 1964年職業 撮影監督すずき ひろし鈴木 博生年月日 1898年没年月日 1964年職業 撮影監督 テンプレートを表示 鈴木 博(すずき ひろし、1898年 - 1964年[1])は、日本の撮影監督。 『恋文』(1953年)の撮影現場。監督の田中絹代、撮影監督の鈴木。 1922年に松竹キネマに入社、その後は下加茂撮影所や帝国キネマなどで活躍した[1]。 1933年に東宝の前身の1社となった新設のP.C.L.映画製作所に移り、東宝を経て、戦後、新東宝に移った[1]。 主な作品 以下に日本映画データベースに従い公開年、作品名、製作会社を記載[2]。 1924年 - 汀の桜 松竹キネマ下加茂撮影所 1924年 - 疑問の白髭 帝国キネマ小坂撮影所 1926年 - 尊王 阪東妻三郎プロダクション 1926年 - 蜘蛛 阪東妻三郎プロダクション(太秦撮影所) 1929年 - あゝ玉杯に花うけて 東京シネマ商会 P.C.L映画製作所 1933年 - 音楽喜劇 ほろよひ人生 1935年 - 女優と詩人 1935年 - 妻よ薔薇のやうに 1935年 - サーカス五人組 1935年 - 噂の娘 1936年 - 桃中軒雲右衛門 東宝映画東京撮影所 1938年 - 阿部一族 劇団前進座 1939年 - はたらく一家 1939年 - 上海陸戦隊 1939年 - まごころ 1939年 - ロッパ歌の都へ行く 1940年 - 二人の世界 1941年 - 馬 合資会社映画科学 1941年 - 白鷺 東宝映画・東宝 1942年 - ハワイ・マレー沖海戦 社団法人映画配給社(初公開時)、東宝(再映時) 1942年 - 希望の青空 1943年 - 望楼の決死隊 1944年 - 雷撃隊出動 1945年 - 三十三間堂通し矢物語 1946年 - 民衆の敵 1951年 - 海賊船 1953年 - 一等社員 三等重役兄弟篇 エイトプロ 1953年 - 明日はどっちだ 新東宝 1948年 - 富士山頂 1949年 - 小原庄助さん 1950年 - 白昼の決闘 藤本プロ 1950年 - 石中先生行状記 藤本プロ 1952年 - おかあさん 1953年 - 刺青殺人事件 1953年 - 恋文 1953年 - もぐら横丁 1954年 - 女の暦 1955年 - 明治一代女 1955年 - しいのみ学園 1955年 - 次郎物語 1956年 - 四谷怪談 1956年 - 新己が罪 1956年 - 女競輪王 1957年 - 肉体女優殺し 五人の犯罪者 1957年 - スーパー・ジャイアンツ 人工衛星と人類の破滅 1958年 - スーパー・ジャイアンツ 宇宙艇と人工衛星の激突 1958年 - スーパー・ジャイアンツ 宇宙怪人出現 脚注 1 2 3 シリーズ・日本の撮影監督 1、東京国立近代美術館フィルムセンター、2021年1月22日閲覧。 ↑ 鈴木博 - 日本映画データベース、2021年1月22日閲覧。 外部リンク 鈴木博 - allcinema 鈴木博 - 日本映画データベース 鈴木博 - KINENOTE Hiroshi Suzuki (I) - IMDb(英語) Related Articles