鈴木尚
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数千体の遺骨調査
埼玉県鳩ヶ谷町(現、川口市)に生まれる。東京高等学校を経て東京帝国大学医学部に入学。解剖学教室で古人骨を研究していた小金井良精(こがねいよしきよ、こがねいりょうせい)の教えを受けた。1951年(昭和26年)夏、東京大学の骨格標本室で時代・出所不明の頭骨群を発見し、それが室町時代に由来することを突き止めて以来、日本の各時代の骨格の発見と研究に精力を注ぐようになった。当時は日本の歴史時代を通じての古人骨研究はほとんど行なわれておらず、古代より現代までの間に日本人の形質がどう変化したかについては何もわかっていなかったと言ってよかった。
鈴木は、1955年(昭和30年)前後の数年間で、1333年の鎌倉幕府滅亡に至る戦闘の戦死者の遺骨を約2000体も発掘調査し、同じ頃に東京都内で室町時代や江戸時代の墓地跡から出土した遺骨を調査するなど資料収集に力を注ぎ、その結果、例えば頭型は鎌倉時代には長頭であったがしだいに短頭化したこと、鼻根(びこん。鼻筋を意味する)は歴史時代を通じて低かったが明治以降急速に高くなって現在も進行中であること、その他の時代による変化が明らかにされた[1]。
また、中尊寺にあった奥州藤原氏のミイラの人類学的調査(1950年)や、徳川家代々の将軍の骨格の調査研究なども行ない(1958年)、その成果を書籍やテレビで一般にも公開するなど、世間の耳目を集める業績も多い。
ネアンデルタール人の発掘
1961年(昭和36年)には東京大学の発掘調査団を率いてイスラエルのアムッド洞窟で、日本人としては初めてネアンデルタール人類(アムッド人)の全身骨格の発掘に成功した[2][3]。
日本国内では、現生人類化石として三ヶ日人(浜松市浜名区三ヶ日町)、ネアンデルタール段階化石として牛川人(愛知県豊橋市牛川鉱山)と主張する化石を発見したが、両件ともにその後、前者は縄文時代初期、後者は獣骨(クマ)と判明し誤りだったことが明らかにされた。