鈴木智晴
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すずき ともはる 鈴木 智晴 | |
|---|---|
| プロフィール | |
| 愛称 | 鈴木ちゃん[1][2] |
| 性別 | 男性 |
| 出生地 |
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| 出身地 |
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| 生年月日 | 1979年1月11日(46歳) |
| 血液型 | A型[2] |
| 身長 | 170 cm[4] |
| 職業 | ナレーター[3][4]、劇作家[3]、演出家、声優、俳優 |
| 事務所 | 劇団東京都鈴木区 ALBA[3][5] |
| ナレーター・声優活動 | |
| 活動期間 | 2004年[3][6] - |
| ジャンル | アニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション |
| デビュー作 | 仮面レンジャーNo.1(『あまえないでよっ!!』)アニメデビュー[6][7] |
| 劇作家・演出家活動 | |
| ジャンル | 舞台 |
| 俳優活動 | |
| 活動期間 | 1998年[3][6][8] - |
| ジャンル | 舞台、映画 |
| デビュー作 | 男(『友達』)[6][8][9] |
鈴木 智晴(すずき ともはる、1979年1月11日[3] - )は、日本のナレーター[3][4]、劇作家、演出家[3]、俳優、男性声優。大阪府出生[1]、静岡県浜松市出身[3]。劇団東京都鈴木区、ALBA所属[3][5]。
高校時代、クラスメイトから授業中に文化放送で放送されていた声優のラジオ番組を勧められ、その番組を聴いて初めて職業としての声優を意識した[10][11]。高校3年生の時、リビングで両親がある番組で放送されていた外画の日本語吹き替え版を見ていたが、その時耳にその外画の日本語吹き替え版のセリフが入り、画面の出演していた外国人俳優を見て、鈴木は「日本語の上手い外国人だ」と思い、食い入るように画面を見ていた[12]。その後新聞のテレビ欄を見て、そこに書かれていた外国人俳優の名前と、「声」と書かれたあとに日本人声優の名前があったことから、その場で両親に声優を目指すことを告げる[12]。高校3年の時からノートに日記をつけていたが、2005年に読み返していたところ、声優になりたい気持ちや理想の将来像が綴られていたという[13]。
1997年、声優を目指して上京[3][8][14][15]。上京後に初めてしていたアルバイトは『電磁戦隊メガレンジャー』のキャラクターショーだった[6][16]。前半は怪人、後半はメガブルーという配役で、前半はメガブルーの上に怪人の着ぐるみを着てたことから、暑かったという[6][16]。その他のアルバイトとしては、コンビニで深夜バイト[17]、20代の頃に10年くらいおでん屋[18][19]、お台場のデックス東京ビーチの台場一丁目商店街にあった洋食レストラン『ハイカラ食堂』[20][21]、30歳の頃に居酒屋で働いていた[22]。
アミューズメントメディア総合学院[23][24][25]4期生。同期に三宅健太がいる[6]。学院時代の1998年9月9日には、安部公房の戯曲『友達』の主役の男役で初舞台を踏む[3][6][8][9]。学院卒業後、声優事務所には所属せず、MTワールドの劇団員となり、芝居の世界に入る[6][26]。
2003年12月24日、舞台『ルー・リードになれなかった少年』の稽古中にのちに所属することになるホーリーピーク[22]から着信があり、「正式に所属になりませんか?」ようなことを言われていた[27]。当時は芝居で生きてく覚悟もあったが、声優になるのは上京した時の夢で、情や環境を無しにして自分の胸に聞いてみたところその気持ちだけは裏切れず、「大手は色々メンド臭いから、お手軽そうなとこでどっかないか?」のような気持ちになった[27]。2004年にMTワールドが『ルー・リードになれなかった少年』を最後に活動休止になり、思い切って、ホーリーピークのオーディションを受けた[3][6][22][27][28]。オーディションの当日まで何度も自分を問い詰めて、「本当にやりたいんだ!」という気持ちを無理矢理引っ張り出して、それを意志に変えて挑んでいた[28]。それで、結果的には合格して、同年にはホーリーピークに所属して夢だった声優の世界に入った[3][6][22][27][28]。その時は社長に「小杉十郎太さんの若い頃にそっくりだなキミ!見た目が」としきりに言われて鈴木は「‥で芝居は?」と若干不安になっていたという[27]。
同年、ラジオドラマでデビュー[3][29]。アニメでのデビューは2005年の『あまえないでよっ!!』の仮面レンジャーNo.1役[7]。以前は同じ事務所に所属しており、鈴木の声優としての初仕事から初めて出会った寺島拓篤とは同期にあたり[1][29][30]、2007年には超!放送局にてラジオもやっていた[26]。2009年にホーリーピークを退所し[31]、5年間のフリーの期間を経て[32]、2014年からALBAに所属する[33]。現在は、TVCMナレーター・劇作家として活動している[3]。
劇団東京都鈴木区を主宰し、ほぼ全公演の脚本演出を務める[3]。
『いるわけないしっ!』が第4回TONOGEKI演劇祭にて最優秀作品賞を受賞[34]。
マイナビより鈴木区の上演台本が出版された[35]。これにより、出版社が電子書籍として上演台本を出版した、日本初の劇作家となる。