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日立グループ

日本の企業グループ From Wikipedia, the free encyclopedia

日立グループ(ひたちグループ、英語: Hitachi Group)は、日立製作所を中核とする企業グループ。2026年3月31日現在、日立製作所と関係会社823社(連結子会社606社・持分法適用会社217社)で構成され、連結従業員数は287,901名である[1]。

創業者 小平浪平
創立 1910年
国籍 日本の旗 日本
中核企業 日立製作所
概要 創業者, 創立 ...
日立グループ
Hitachi Group
日立グループのCMに使用される「日立の樹」(ハワイ州オアフ島のモンキーポッド)
日立グループのCMに使用される「日立の樹」(ハワイ州オアフ島のモンキーポッド)
創業者 小平浪平
創立 1910年
国籍 日本の旗 日本
中核企業 日立製作所
会員数 連結子会社606社(2026年3月31日現在)[1]
従業員数 287,901名(2026年3月31日現在)[1]
主要業務 デジタルシステム&サービス、エナジー、モビリティ、コネクティブインダストリーズ[1]
標章
社章「日立マーク」
(亀の甲マーク)[2]
前身 日産コンツェルン
外部リンク 公式ウェブサイト
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概要

1910年に小平浪平が創業した日立製作所を中核とし、情報通信・エネルギー・鉄道・産業機器・ビルシステムなど幅広い事業を手がける企業グループである。「デジタルシステム&サービス」「エナジー」「モビリティ」「コネクティブインダストリーズ」の4セクター体制を採り、2026年3月期の連結売上収益は10兆5,867億円である[1]。主要なグループ会社にHitachi Energy、日立ソリューションズ、日立システムズ、GlobalLogic、日立ハイテク、日立ビルシステムなどがあり[3]、連結従業員の約9割は日立製作所以外のグループ会社に所属している[1]。

グループ全体のコーポレート・ステートメントは「Inspire the Next」(インスパイア・ザ・ネクスト)[4]。グループ共通のテレビCM「日立の樹」(この木なんの木)は1973年に初めて制作された[5]。

歴史

創業と独立

日立グループの起源は、1910年(明治43年)に久原鉱業所日立鉱山付属の修理工場として発足した日立製作所である[6]。1905年(明治38年)に久原房之助が赤沢銅山を買収して日立鉱山と改称し、1908年(明治41年)に鉱山用電気機械の修理工場を設置したのが前身で、1910年に鉱山工作課長の小平浪平がこれを日立に移転して「日立製作所」と名付けた[7]。同年に小平の指揮のもとで完成した創業製品の五馬力誘導電動機は、日本人により設計製造された現存最古のモーターとして、2022年に文化審議会が国の重要文化財への指定を答申している[8]。1920年(大正9年)、日立・亀戸の両工場を擁して久原鉱業から分離し、株式会社日立製作所として独立した。初代社長には小平が就任した[6][7]。

日産コンツェルンと戦前の拡大

久原鉱業は1928年(昭和3年)に鮎川義介によって公開持株会社の日本産業株式会社に改組され、三井・三菱に次ぐ企業集団である日産コンツェルンを形成した。日立製作所はその中核企業の一つであった[9]。日本産業が日立製作所を中心に機械製造部門を統合する方針を採ったことから、日立は1937年(昭和12年)に国産工業株式会社を吸収合併するなど日産系の会社を相次いで統合し、第二次世界大戦終結時には関連企業80社以上を支配する独立したコンツェルンを形成するに至った[7][6]。

戦後の再建と高度成長

戦後、日産コンツェルンは財閥解体により解体され、日立製作所自身も1947年公布の過度経済力集中排除法の指定を受けた。もっとも同法による日立への措置は最終的に工場等の設備処分にとどまり、会社の分割は行われなかった[10]。空襲による工場被災や小平の公職追放などによる経営危機を経て、朝鮮戦争特需や電源開発ブームを背景に再建を果たした[7]。

高度経済成長期には、事業部門の分離独立によってグループの中核企業が形成された。1956年に日立金属工業(後の日立金属)と日立電線が、1963年に日立化成工業(後の日立化成)がそれぞれ分離独立し[6][7]、この3社は後に「日立御三家」と呼ばれた[11]。日立製作所本体も1955年頃から家電部門へ急速に進出し、1962年にコンピューター部門を設置、1966年にはゼネラル・エレクトリック(GE)と沸騰水型原子炉(BWR)で提携するなど事業を多角化した[7]。グループは家電・重電・情報通信・素材など幅広い分野に及ぶ企業集団へ成長し、2010年代半ばには連結子会社が約1,000社を数えた[12]。

2009年以降のグループ再編

2009年3月期に計上した7,873億円の連結最終損失を転機として[13][14]、日立グループは社会イノベーション事業への「選択と集中」を軸とする構造改革を進め、グループの構成は大きく変化した。

2009年7月、日立製作所は社会イノベーション事業の強化を掲げ、上場子会社であった日立システムアンドサービス・日立ソフトウェアエンジニアリング・日立情報システムズ・日立プラントテクノロジー・日立マクセルの5社を株式公開買付け(TOB)により完全子会社化した[15]。このうち情報システムグループ会社は再編され、2010年10月に日立システムアンドサービスと日立ソフトウェアエンジニアリングの合併で日立ソリューションズが[16][17]、2011年10月に日立情報システムズと日立電子サービスの合併で日立システムズが発足した[18][19]。2020年には日立ハイテクノロジーズもTOBにより完全子会社化した[20]。

一方、中核事業と位置づけないグループ会社は売却された。2017年に日立工機をコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)系ファンドへ[21]、2019年に日立化成を昭和電工(現・レゾナックホールディングス)へ[22]、2021年に日立金属(現・プロテリアル。2013年に日立電線を合併)をベインキャピタル連合へそれぞれ譲渡し[23][24]、かつての「御三家」もグループを離れた[25]。2022年には日立物流(現・ロジスティード)株式のKKRへの譲渡[26]と日立建機株式の一部譲渡[27]を発表した。2023年には自動車部品の日立Astemo(2021年に日立オートモティブシステムズ・ケーヒン・ショーワ・日信工業が経営統合して発足[28])も資本構成の変更により持分法適用会社となった[29]。かつて20社を超えていた上場子会社は[30]、2023年までにゼロとなった[31]。この間、英国での原子力発電所建設事業(ホライズンプロジェクト)は2019年に凍結を決定して約3,000億円の減損損失等を計上し、2020年に事業運営から撤退した[32][33]。

これと並行して、成長分野では大型の買収を進めた。2015年にフィンメカニカ社の鉄道信号・車両部門(アンサルドSTS・アンサルドブレダ)を買収して鉄道事業を拡大し[34]、2020年にABB社のパワーグリッド事業の買収を完了して日立ABBパワーグリッド(2021年10月から日立エナジー)を発足させた[35][36]。2021年には米デジタルエンジニアリング企業のGlobalLogicを買収し[37]、2024年にはタレス社の鉄道信号関連事業の買収を完了した[38]。

一連の再編により、日立グループはITと社会インフラを軸とする事業構造へ転換し、日立製作所の時価総額は2025年2月に20兆円に達した[39]。この構造改革の手法は「日立モデル」とも呼ばれる[40]。2026年4月には家庭用家電事業(日立グローバルライフソリューションズ)のノジマへの売却が発表されている[41]。

グループ・アイデンティティ

日立グループは、グループ共通の理念体系として「日立グループ・アイデンティティ」を定めている。企業理念(MISSION)「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」、創業の精神(VALUES)「和・誠・開拓者精神」、および日立グループ・ビジョン(VISION)の3つで構成され、企業理念には創業者・小平浪平の掲げた志が引き継がれているとする[4]。グループ全体のコーポレート・ステートメントは「Inspire the Next」(インスパイア・ザ・ネクスト)である[4][42]。

社章は「日」と「立」を組み合わせたモノグラムの「日立マーク」(通称・亀の甲マーク)である[2]。2021年11月には、創業の地である茨城県日立市に、創業製品の五馬力誘導電動機が誕生した修理工場を再復元した「創業小屋」などからなる企業ミュージアム「日立オリジンパーク」を開設した(2023年度グッドデザイン賞受賞)[43]。

事業体制

日立グループは2022年4月から「デジタルシステム&サービス」「グリーンエナジー&モビリティ」「コネクティブインダストリーズ」の3セクター体制を採り、2025年4月にグリーンエナジー&モビリティを「エナジー」と「モビリティ」に分けた4セクター体制へ移行した[3][1]。

各セクターの主な事業と所属するグループ会社は次のとおり[3][1]。

このほか、持分法適用会社としてAstemo(旧・日立Astemo)、日立建機、国際電気などがある[3]。

連結従業員287,901名のうち日立製作所単体の従業員は25,934名(2026年3月31日現在)で、約9割は日立製作所以外のグループ会社に所属している[1]。また、Hitachi EnergyとHitachi Railの2社は売上収益の連結売上収益に占める割合が10%を超えており、2026年3月期の売上収益はそれぞれ2兆9,880億円・1兆1,922億円である[1]。

グループ共通のデジタル事業基盤として、日立が「先進的なデジタル技術を活用したソリューション、サービス、テクノロジーの総称」と定義する「Lumada」がある。名称はilluminate(照らす)とdata(データ)に由来し、2016年に事業を立ち上げた[3]。2026年3月期のLumada事業の売上収益は4兆1,460億円で、経営計画「Inspire 2027」ではLumada事業の売上収益比率80%を目指すとしている[1][3]。

スポーツ・文化活動

スポーツ

サッカーの柏レイソルは、1940年(昭和15年)に日立本社サッカー部として創部した日立製作所サッカー部を母体とするプロサッカークラブで、1986年に活動拠点を柏市へ移し、1995年に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)へ正会員として加入した。運営会社は株式会社日立柏レイソル(1992年設立)である[44]。

バスケットボールの東京サンロッカーズは、1935年(昭和10年)に創部した日立本社ライジングサンと1956年(昭和31年)に創部した日立大阪ヘリオスが2000年(平成12年)に統合され日立サンロッカーズとして発足。B.LEAGUE参入によるプロ化に伴い株式会社日立サンロッカーズ(2016年設立)を運営会社とした。2022年(令和4年)にセガサミーホールディングスへ売却し、日立グループから外れた。

日立製作所野球部は1917年(大正6年)創部の社会人野球チームで、都市対抗野球大会には1955年の第26回大会で初出場して以来、2025年時点で41回出場し、準優勝1回・ベスト4が3回の成績を残している[45]。このほか、Wリーグの日立ハイテク クーガーズ(女子バスケットボール)、JDリーグで活動する日立ソフトボール部(日立サンディーバ、1985年に日立ソフトウェア女子ソフトボール部として創部)、日立女子陸上競技部などがグループ各社の運営で活動している[46][47]。

広告・提供番組

日立グループは1966年から日本テレビ系「すばらしい世界旅行」を日立製作所の単独提供で放送し、1972年にグループ25社による提供へ移行したことを契機として、1973年にグループ共通のテレビCM「日立の樹」(「この木なんの木」の歌詞で知られるCMソングは小林亜星作曲・伊藤アキラ作詞)を制作した[5]。CMは2026年時点で9代にわたって制作されており、第9代CMに登場する「日立の樹」はハワイ州オアフ島のモアナルア・ガーデンにあるモンキーポッドで、2010年9月にハワイ州の「Exceptional Tree」(特別な木)に認定されている[48][49]。また、TBS系のクイズ番組「日立 世界・ふしぎ発見!」は番組名に日立を冠した提供番組として1986年から約38年間放送され、2024年3月にレギュラー放送を終了した[50]。

社会貢献

グループの社会貢献活動の中核として、公益財団法人日立財団がある。同財団は小平記念日立教育振興財団・倉田記念日立科学技術財団・日立環境財団・日立国際奨学財団・日立みらい財団の5財団を統合して2015年4月1日に発足したもので、研究助成「倉田奨励金」、小学生向けの「日立みらいイノベータープログラム」、多文化共生社会の構築に関する事業などを行っている[51][52]。

グループ企業一覧

()内は本社所在地である。また形態は特記なきものは全て株式会社である。

あ行

か行

  • 関西日立(大阪市西区)
  • 関東エコリサイクル(栃木市)
  • 関東日立(台東区)
  • 九州日立(福岡市早良区)
  • 九州日立システムズ(福岡市博多区)
  • GlobalLogic Japan(千代田区)
  • 神戸学校空調サービス(神戸市垂水区)

さ行

  • 四国日立(徳島市)
  • 静岡日立(静岡市駿河区)

た行

  • 中国日立(安芸郡府中町)
  • 東北日立(仙台市青葉区)

な行

は行

  • ハピネスプラネット(国分寺市)
  • 北陸日立(富山市)
  • 北海道日立(札幌市東区)
  • 北海道日立システムズ(札幌市中央区)

日立〜

や行

  • ゆうばり麗水(夕張市)

かつて日立グループに属していた会社

他の企業グループとの関係について

かつてグループに属していた会社(前述参照)を含め、グループの多くの企業(前述参照)が、旧久原財閥および旧日産コンツェルンの系譜を引く企業により構成される春光グループの春光会および春光懇話会に属していることに加えて、中核企業である日立製作所およびかつて「日立御三家」と呼ばれた旧日立金属、旧日立電線、旧日立化成の4社はいずれも旧三和銀行(現三菱UFJ銀行)を主力取引銀行としていた関係で、4社をはじめ三和グループの三水会とその後身社長会である水曜会[54][55][56]およびみどり会[57]に属する企業も多く存在する。以上の経緯から日立グループは春光グループおよび三菱UFJグループ(三菱グループではない)・三和グループ(UFJグループ)に包含される企業集団と看做されることが多かった。

さらに、中核企業の日立製作所は旧三和銀行に加えて、旧富士銀行および旧第一勧業銀行(いずれも現在のみずほ銀行)を主力取引銀行としていたことから、芙蓉グループの芙蓉会および芙蓉懇談会、第一勧銀グループの三金会にも属している。

脚注

関連項目

外部リンク

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