当時、新たに小普請組頭の役職に就いた者は、最初の寄合で先任の同僚を招いて供応するしきたりであり、その際の菓子は鈴木越後の羊羹と定められていた[4]。この供応の費用は自費であるため、高価な鈴木越後の羊羹を人数分そろえるのは費用の負担も大きい[4]。ある時、永井求馬がこの新任の供応を行ったが、その際に出された羊羹が鈴木越後のものではないと指摘する先任同僚が現れ、永井は同僚23人から詰問を受けることになった[4]。永井は金澤丹後の羊羹であることを認め、謝ることになった[4]。
このエピソードは旗本の森山孝盛が『賤のをだ巻』に書き記しているものであるが、森山自身も食べ比べて味が異なることを書き記している[7]。
なお、金澤丹後も『江戸の華 名物商人ひやうばん』において東の小結に挙げられる名店ではある[4]が、鈴木越後同様に金澤丹後も明治維新後に廃業している[2]。