享保15年(1730年)6月18日、第4代藩主・鍋島直恒の長男として蓮池館で生まれる。寛延2年(1749年)10月16日に父が死去したため、寛延3年(1750年)3月22日に家督を継いだ。直後の6月に起こった諫早一揆を鎮圧した。12月に従五位下・朝散大夫・甲斐守に叙位・任官する。
藩政では財政難のため、御用金の取立てをはじめ、百姓の他国への出稼ぎ禁止などを行なったが、宝暦3年(1753年)には勅使接待役などによる出費などに苦しめられている。宝暦7年(1757年)5月29日、蓮池で死去した。死因は水腫といわれる。享年28。実子が無かったため、異母弟で養子の直寛が跡を継いだ。
文人でもあり、著作に「苛斎集」がある。また善政を行なおうと努力したことなどから、蓮池藩の歴代藩主の中では名君と言われている。