鎮 (ベトナム)

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ベトナム語Trấn / )は、かつて存在したベトナムの広域地方行政区画である。

陳朝には天関鎮(長安鎮)・広威鎮(国威鎮)・天興鎮(沱江鎮)・太原鎮・諒山鎮(諒江鎮)・宣光鎮・清都鎮(清化鎮)・望江鎮(演州鎮)・西平鎮(新平鎮)・順化鎮・雲屯鎮・乂安鎮(臨安鎮)などの鎮があった。これらは現在のベトナムの、日本の都道府県に相当するような広域をカバーしていた。

黎朝

黎朝(後黎朝)の黎聖宗のとき、全国を十三承宣に区分した後、承宣を処と改め、各所に対応する軍事政区を「鎮」、対応する監察政区を「」と呼んだ。このため、十三承宣は十三処・十三鎮・十三道とも呼ばれる。

洪順年間からベトナムは戦乱が絶えず、各鎮の軍事官の権力はますます強くなり、民政事務を兼ねるようになった。中興黎朝(後黎朝の後期)の保泰2年(1721年)、冗官の解任を理由に、高・宣・興・諒の四つの外鎮の二司と府県の役人を解任し、すべての事務は各鎮官に任せた[1]

沿革

後黎朝の十三鎮は山南鎮・山西鎮・京北鎮・海陽鎮・安邦鎮・諒山鎮・太原鎮・宣光鎮・興化鎮・清華鎮・乂安鎮・順化鎮・広南鎮。

莫朝が建てられると、黎朝の旧臣は清華乂安で反莫を掲げて黎朝を守ろうとした。莫朝は概ね、山西・山南・海陽・京北・太原・諒山・安邦の7つの鎮を占拠し、黎朝は清華・乂安・興化・宣光の4つの鎮を占拠し、その他の町は阮主によって占拠された。莫朝は同時に清華鎮2府を清華外鎮と呼び、黎朝が支配した地域を清華内鎮と呼んだ。以来、清華鎮には清華外鎮と清華内鎮の区別がある。

永治2年(1677年)、黎朝は莫朝の残存政権を滅ぼし、高平鎮を増設した。景興2年(1741年)、黎朝は山南鎮を山南上鎮と山南下鎮とに分割した。このため黎朝には14鎮がある。

西山朝

西山朝は黎朝の区割を継承して14鎮はそのままにし、鎮の上位機関として北城()を設け、皇室の近親者が北城の総鎮を務めることで諸鎮を統轄した。

阮朝

注釈

参考文献

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