長光寺城
滋賀県近江八幡市にあった日本の城。
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歴史
応仁の乱の最中の応仁2年(1468年)に近江守護六角政堯により、従兄弟で実力者である六角高頼の居城・観音寺城と対峙するために築城されたという[2]。
永禄11年(1568年)に織田信長は足利義昭を奉じて上洛を開始すると、観音寺城に立て籠もっていた六角承禎・義弼父子を観音寺城の戦いで破った。その後、長光寺城に柴田勝家を入城させ、周辺の抑えとしている[2]。
元亀元年(1570年)に六角承禎が長光寺城を攻めた長光寺城の戦いがあったとされている。その際、長光寺城に籠城している最中での話として、柴田勝家は最後に残されていた水を兵たちに振る舞った後、水甕を突き割って城中にいる兵たちに決死の覚悟を固めさせ、城外に打って出て勝利し、死中に活を得たという「甕割り柴田」の逸話が残されている[2]。
天正4年(1576年)に信長によって安土城が築城されると廃城になったようである[2]。
山頂には主に一の郭、二の郭、三の郭があり、それぞれの間には堀切がある。さらに、各郭の周囲には小規模な郭が設けられ、竪堀も造られている。部分的に石垣も造られており、一の郭の北西部には高さ6メートルの石垣がある[2]。
この山より産出される良質の花崗岩の石材により石工の名匠が誕生している。大阪城、聚楽第、方広寺大仏殿、三条大橋、江戸城、名古屋城、彦根城などを手懸けたとされる「馬渕石工」「岩倉石工」が安土桃山時代から江戸時代初期に全国で活躍した[3]。

