長崎電気軌道大浦支線
長崎電気軌道の軌道路線
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概要
路線データ
歴史
- 1916年(大正5年)12月27日:千馬町 - 出雲町仮終点間開通[2][3]。出師橋・松ヶ枝橋各停留場開業。
- 1917年(大正6年)6月4日:仮終点を廃止[2]、約120m先に出雲町停留場が開業[3]。
- 1920年(大正9年)12月25日:築町停留場廃止[3]。
- 1930年(昭和5年)4月:松ヶ枝橋停留場を弁天橋停留場へ、出雲町停留場を大浦石橋停留場へ改称[3]。
- 1945年(昭和20年)8月9日:長崎市への原子爆弾投下により不通[4]。
- 1946年(昭和21年)12月11日:運行再開[4]。
- 1961年(昭和36年)10月5日:大浦石橋方面の線路を移設。再開業した築町停留場へ起点が変更され、千馬町停留場が廃止[5][3]。出師橋停留場を市民病院前停留場に改称[6]。
- 1965年(昭和40年)8月28日 - 9月30日:入江町付近で発生した陥没事故の影響により休止[7][8]。
- 1980年(昭和55年)5月1日:弁天橋停留場を大浦天主堂下停留場へ改称[3]。
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)6月10日:大浦石橋停留場を石橋停留場へ改称[3]。
- 1990年(平成2年)6月17日:入江町停留場廃止[3][10]。
- 1999年(平成11年)8月31日:7号系統廃止[11]。
- 2018年(平成30年)8月1日:築町停留場を新地中華街停留場へ、市民病院前停留場をメディカルセンター停留場へ、大浦天主堂下停留場を大浦天主堂停留場へ改称[12][13]。
運行状況
5号系統のみが約8分間隔で運行されている。
沿線機能と将来構想
大浦支線の各停留場は、長崎市南部の観光施設への最寄り停留場としても案内されている。長崎電気軌道の観光案内では、大浦天主堂停留場をグラバー園および大浦天主堂、メディカルセンター停留場をオランダ坂、石橋停留場を長崎孔子廟中国歴代博物館、新地中華街停留場を新地中華街の最寄り停留場として掲げ、いずれも5号系統または1・5号系統の利用対象として示している[14]。この案内上では、新地中華街停留場が1号系統と5号系統、大浦支線内のメディカルセンター・大浦天主堂・石橋の各停留場が5号系統の停留場として扱われ、支線内の停留場が南山手・松が枝周辺の観光地への到達点として並べられている[14]。
5号系統は蛍茶屋 - 石橋間を結び、新地中華街から石橋までの大浦支線内ではメディカルセンター、大浦海岸通、大浦天主堂の各停留場を経由する[15]。電停間距離表では、新地中華街 - メディカルセンター間が368メートル、メディカルセンター - 大浦海岸通間が348メートル、大浦海岸通 - 大浦天主堂間が206メートル、大浦天主堂 - 石橋間が250メートルとされ、路線全体で1キロメートル余りの短い支線を形成し、停留場間の移動距離も短い[16]。停留場の並びは、新地中華街からメディカルセンターを経て、大浦海岸通、大浦天主堂、石橋方面へ進む構成である[15]。
松が枝周辺地区では、長崎港松が枝国際ターミナルの2バース化を前提に、クルーズ船と公共交通等との結節機能とアクセスの強化が課題として整理された[17]。2020年(令和2年)7月の「長崎市中心部の交通結節機能強化の基本計画」では、路面電車を延伸して新たな複合交通ターミナルへ引き込む方針、松が枝地区と長崎駅方面との直通運行に向けた短期的な三方分岐、および長期的な短絡軌道が整備イメージに含められている[17]。
同計画は、長崎市中心部で進む再整備と、公共交通利用者の減少、観光客の回遊性向上、松が枝周辺地区と市中心部を結ぶ交通環境の整備を背景としている[17]。計画図では、路面電車の延伸構想が大浦天主堂付近から松が枝国際ターミナル方面へ延びる形で示され、長崎駅方面との直通運行を補う短絡軌道も整備イメージに含められ、将来構想として松が枝周辺地区・大波止周辺地区・長崎駅周辺地区を結ぶ動線として一体的に描かれている[17]。
停留場一覧
廃止停留場
丸括弧内は停留場番号。