長義
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兼光との対比
同じ相伝備前で作刀期間が多少重なる兼光とは対比で語られることが多く[8]、「兼光は長義よりおっとりした刃文」[11]、「相伝備前として兼光に比し一層華やかな焼刃である。後世兼光を梅に、長義を櫻にたとへてあるほどだ。」[12]、「刃文の技巧から見れば兼光よりも覇気があり、変化に富んでいる。」[13]、などと言われる。長義は姿も刃文も相州伝だが、兼光は姿だけが相州伝である[14]。
長義の地鉄は備前風で[15]、兼光より軟らかい[16]。兼光一門に比べて映りが目立たない[17]。
兼光が北朝年号でのみ銘を切るのに対し、長義ははじめ南朝年号を用い、やがて北朝年号を使用していく。長義の作刀年紀は伯耆の守護山名時氏の動静に非常に近いと小笠原信夫は指摘している[4]。
