長興寺 (豊田市)
豊田市にある寺院
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
建武2年(1335年) 三河国衣(ころも)城主[1]中条秀長が菩提寺として太陽義冲を招聘して創建。当時の寺域は南北5丁余り、東西4丁余り、18坊に及ぶ塔頭が建ち並び、地域最大の寺院であった。
室町時代中期、応仁の乱(1468年 - 1477年)後、中條氏の衰退と共に衰退。永禄10年(1567年)には、余りの偉容に城と間違えた織田信長の兵火によって焼失した。天正11年(1583年) 信長の家臣で衣城代の余語正勝が、再興した長興寺で信長の一周忌法要を行った。その際に、日本の歴史教科書にも掲載されている狩野元秀筆の「紙本著色織田信長像」[2](重要文化財)が寄進された。
元禄年間(1688年 - 1704年) 本堂、庫裏を重建。現本堂は昭和50年代 鉄筋コンクリート造で再建されたものである。
長興寺村
文化財
民話(昔ばなし)
長興寺には、鐘泥棒の昔ばなし「長興寺の鐘」のがある。
泥棒に盗まれた鐘が「長興寺恋しやポンワンワン、返しておくれんポンワンワン」と鳴ったと云う民話が語り継がれている。
詳しくは、外部リンクを参照。
