長谷川一夫 (野球)
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 |
埼玉県大宮市 (現:さいたま市) |
| 生年月日 | 1945年1月3日 |
| 没年月日 | 2013年4月24日(68歳没) |
| 身長 体重 |
175 cm 72 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手、外野手、内野手 |
| プロ入り | 1963年 |
| 初出場 | 1963年10月12日 |
| 最終出場 | 1981年9月30日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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長谷川 一夫(はせがわ かずお、1945年〈昭和20年〉1月3日 - 2013年〈平成25年〉4月24日)は、埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身のプロ野球選手(投手、外野手、内野手)。
大宮工業高校ではエースとして活躍。1962年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、西関東大会準決勝に進むが、佐野嘉幸のいた甲府工に延長16回敗退、甲子園には出場できなかった。同大会県予選では7月16日、秩父高から1試合21奪三振を記録。これは今も埼玉県の高校野球最多記録として残る。
1963年に当時の大毎オリオンズ(1964年より東京、1969年よりロッテ)に入団。大毎のオーナー永田雅一が「大映(大毎の経営母体である映画会社)の大スター長谷川一夫と同姓同名」という理由で入団させた。[要出典]入団当初は投手だったが大成せず外野手に転向。
1972年、アルト・ロペスのヤクルトスワローズ移籍を埋める形で右翼手の定位置を獲得。規定打席には届かなかったが、主に二番打者として打率.307の好記録を残す。
1973年にはオールスターゲームに出場した。中日ドラゴンズとの1974年の日本シリーズでは3試合に出場、第1戦で左前安打を放つ。
1975年には一塁手、指名打者も兼ね、88試合に先発出場、打率.291を記録した。
1977年、倉持明と共に白仁天、安木祥二との交換トレードでクラウンライターライオンズへ移籍[1]。
1978年7月11日の対日本ハムファイターズ戦の9回二死一・三塁の場面で投手として登板したが、最初の打者ジーン・ロックレアに初球を打たれ、サヨナラ安打を許した[2]。