長野助盛 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 1550年?死没 1611年改名 秋月種信→長野助盛 凡例長野助盛時代 戦国時代生誕 1550年?死没 1611年改名 秋月種信→長野助盛別名 三郎左衛門(通称)主君 毛利隆元→大友義鎮→島津義久氏族 秋月氏→豊前長野氏父母 父:秋月文種、養父:長野胤盛兄弟 秋月晴種、秋月種実、高橋種冬、助盛、原田親種室、規矩掃部頭重之子 長野永盛、田原親貫、秋月種貞テンプレートを表示 長野 助盛(ながの すけもり)は、戦国時代の武将。秋月文種の子。豊前国京都郡馬ヶ岳城主。 豊前国の国人である秋月文種の子として生まれる。その後、豊前長野氏の名跡を継いだとされる。 弘治3年(1557年)に文種が自害すると、兄の秋月種実とともに再起を図り、行動を共にする。永禄8年(1565年)に大友宗麟の軍に居城小三岳城を攻撃され、降伏した。この際に子の親貫が田原氏の養子に入った。永禄11年(1568年)に今度は毛利氏の攻撃を受ける。 天正11年(1583年)に馬ヶ岳城へ入城した。同15年(1587年)の豊臣秀吉の九州征伐時には、この城が秀吉の本陣となり[1]、助盛は兄の種実と対峙することとなった[2]。 子の永盛は筑後国に国替えとなったのち、大坂の陣で戦死している。 脚注 ↑ 馬ヶ岳城跡(うまがたけ じょう あと)の歴史行橋市 2020年1月16日閲覧 ↑ 九州戦国史 Related Articles