間宮八十子
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文政6年(1823年)6月20日、江戸小石川水戸藩邸に久米博高の次女として生まれた[1]。天保10年(1839年)[2]久米野の名で徳川斉昭に出仕し、「我が家の紫式部」として寵愛を受け[1]、後の南部利剛室明子を教育した[3]。
嘉永4年(1851年)[4]母の病死により退職し[1]、嘉永5年(1851年)藩命により間宮永好と結婚し[5]、国学を学んで勅撰和歌集、『万葉集』、『源氏物語』に通じ、諸大名家の妻女や一般人に講じた[1]。特に松平春嶽、明子の弟池田慶徳と親しく[6]、英照皇太后宮、昭憲皇后宮にも召されて歌を詠み、宮中出仕の声もかかったが、老齢のため断った[1]。
明治23年(1890年)秋から病気がちとなり、明治24年(1891年)1月中風を発症し、2月17日朝7時に死去した[1]。翌日谷中玉林寺夫永好墓の傍らに葬られた[1]。法号は永楽院奇音妙歌大姉[7]。