関口淳
From Wikipedia, the free encyclopedia
フリー編集者でフリーライターの関口甫の長男として生まれる。父の甫は『週刊プレイボーイ』創刊から3年間、同誌の専属ライターを務めていた他[4]、『13時ショー』の構成をしていた[5]。
1973年12月3日、妹たちと共に自宅付近から南の空にUFOを目撃し、それ以来スプーンを曲げられるようになった、という[6]。同月上旬のNTV『まんがジョッキー』にて、ユリ・ゲラーの影響を受けたロンドンの9歳の少女によるスプーン曲げを見たことから自らもスプーン曲げに挑み、同月20日頃には、自分で曲げたスプーンを初めて父のもとに持参している。
NETテレビ(現・テレビ朝日)に父の友人の備前島ディレクターがいたため、1974年1月8日、『13時ショー』に出演が決まり[7]、同月21日放映の『13時ショー』で3本のスプーンを曲げてみせた(ただし放映中に曲げたのは1本のみ)[8]。同日、放映終了後に記者会見をおこない、関口の「超能力」がマスコミに知れ渡った[8]。
この間の1月16日、父子は超能力研究家として知られていた中岡俊哉に対面し、能力を実演した上で、能力開発への協力を懇請した。中岡は少年の能力に驚き、以後アドバイザーとして関わるようになる。中岡は21日の放送にも立ち会った。その後オファーが殺到する中で、父は中岡と相談して見世物的性格の強い番組には出演させない方向性を決めた[9]。
1月26日から2月2日までに『少年キング』『週刊ポスト』『別冊漫画タイムス』『週刊女性』『週刊少年サンデー』の取材を受ける。
2月15日には、世界初の「スプーンを投げ、床に落ちる前に念力で曲げる」能力を示したという[10]。2月25日には『23時ショー』『11PM』に出演。『11PM』では来日中のユリ・ゲラーと共演したが、このときゲラーは関口の能力に嫉妬し、関口によるスプーン曲げの成功場面を放映させないよう圧力をかけた、という[11]。
3月6日には『アフタヌーンショー』に出演。同日、針金を空中に投げて念を送り、一瞬にして飛行機や星の形に曲げる「空中針金細工」に成功したという[12]。3月7日には『週刊TVガイド』で前田武彦に取材される。3月10日、『週刊プレイボーイ』で水木しげるや横尾忠則たちを前にスプーン曲げをおこなう。3月14日には『週刊読売』で遠藤周作と対談。3月17日には『週刊プレイボーイ』で小松左京を前にスプーン曲げをおこなう。3月18日、ダイヤモンドホテルで青島幸男や中山千夏、古今亭志ん馬 (6代目)、八代英太を前にスプーン曲げをおこなう。3月19日と20日には4月4日放映の『木曜スペシャル』の録画をおこない、20分間に25本を曲げたという[13]。3月21日、師と仰ぐ中岡の日本超能力研究会で柴田錬三郎と会う。柴田は「淳くんの精神統一と気合いに、宮本武蔵と眠狂四郎を見た」と言い、関口の曲げたスプーンを持ち帰って幸運のお守りにした、という[14]。
4月1日、柴田錬三郎の肝煎りで、今東光、吉行淳之介、梶山季之、黒岩重吾、藤本義一といった作家20余名を前にスプーン曲げをおこなう[15]。
その他、4月4日の『はーい!アグネス』や4月21日の『紅白歌のベストテン』、さらに『仮面ライダーX』にも出演。マスコミの寵児となった。当時は過密スケジュールで1日5時間程度しか眠れない状態が続いたという[5]。