関戸の宝塔
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造形
造立年代
下河辺氏と関戸の中世
中世の関戸は下河辺荘野方に属し、この地域を支配した下河辺氏が願主・造立主体であった可能性が指摘されている。下河辺氏は平安末期に下野小山氏から分立し、下総(茨城県西部・千葉県北部)に進出した一族である。京都と東国の間を行き来した[6]武士であり、都の文化に精通し、都の石工とも接触できた。下河辺氏であれば、平安末期に優れた石造物を造立可能であった。石材(大谷石)も、小山氏との関係から入手しやすかったと思われる。[3] [4] [7]
関戸・小堤は宮戸川の西岸にあり、鎌倉街道(中道)の支道も縦断したとされる[3]。下河辺氏(下河辺行義か)が小山から進出する際にも、水陸交通面から拠点に適していた。小堤の円満寺に残された法具(五鈷鈴・三鈷杵)も、この地域における下河辺氏の活動の痕跡と考えられている。下河辺行平が古河城の地に居館を設ける前に、下河辺氏の開発拠点となったことを示す。[3] [4] [7]