関曠野
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思想・主義・主張
総論
通俗的なヒューマニズム、単線的な進歩史観や社会進化論的思考、西洋中心主義、等には批判的であるのみならず、ヘーゲル的ロゴスの解体という問題意識から、左派・右派という対立図式そのものに批判的である。
近代理性批判やロゴス中心主義批判等、1980年代の流行思想であったポスト・モダンと多くの点で問題意識を共有しながらも[3]、独自の視点で読み解いた、プラトン、シェイクスピア、ルソーのテクスト、及びユダヤ教(初期にはギリシア哲学)を手がかりに[4]、あくまで民衆の叡智に基礎を置く特異なスタンスの評論を展開している。
左翼について
一般には左翼論客と認知されており、本人も「左翼」であり「唯物論者」であると一貫して自称しているが、左翼思想の中ではマルクス主義を否定しており[4]、その上で空想的社会主義を本来の左翼の本流とみなしている。戦後日本左翼が長らく天皇制打倒に執着してきたことについても厳しく批判している。
経済・農業
「成長の限界」という問題意識から、反グローバリズム派である。農業、林業などの第一次産業は「産業」ではなく「ライフスタイル」の問題だとして、農業ではなく「農」と呼び、自給とメンテナンス、居住の思想としての「農」を提唱している。
ベーシック・インカムの提唱
ベーシックインカムについては、社会信用論を基盤に「国家紙幣」[5]と「適正価格制度」をBIに組み合わせたかなり異色の独特な三位一体的経済システムを構想している。通常のベーシック・インカムは社会保障やセーフティネットとして考えられており、財源の問題が解決不可能だとして否定する。自身の提唱するものは財源の問題が発生しないだけでなく、社会保障やセーフティネットではなく、公共インフラとしての貨幣であり、本質的に別のものであるからベーシック・インカムではなく「国民配当」と呼称すべきとしている。
日本論・ナショナリズム
安直なお国自慢を戒めつつも、日本のナショナリズムに限らず、ナショナリズム一般を、それなくしては民主制が健全に息づくことができないような、依って立つ基であるとしている。また日本を独自の国柄や思想(日本語の特性、アニメ等のルーツである「こども」の文化、芸能、作法、美学、「道」の観念等)をもった一つの文明として、江戸国学のはたした役割を評価。自衛隊や皇室への再評価や、武装中立への言及など、旧来の左翼的前提にとらわれない独自な問題提起が多い[6]。