阮元
1764-1849, 清の政治家、学者
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略歴
1764年、揚州府儀徴県に生まれる。本貫は揚州府甘泉県槐泗(現在の江蘇省揚州市邗江区槐泗鎮)。
1789年、科挙に合格して進士になる。官僚としては山東・浙江の学政、浙江・江西・河南の巡撫の任についた。とくに浙江には足かけ10年ほど着任して、李長庚らとともに海賊の取りしまりを行った[2]。また、西湖の浚渫事業を行い、そのときに出た泥を集めて築いた湖内の島は「阮公墩」の名で現在も残る。
1817年からは、広州で両広総督をつとめる。前年にウィリアム・アマーストが三跪九叩頭の礼を拒否する事件が起きたばかりであり、阮元は砲台を築いてイギリスに武力で対抗することを進言した[2]。
1826年からは、雲貴総督をつとめる。1835年には体仁閣大学士の官職についた。没後、文達の諡を贈られた。
浙江時代に「詁経精舎」、両広総督時代に「学海堂書院」という書院を建てた。やがて清末に至っては、前者には兪樾・章炳麟、後者には梁啓超といった、優れた学者あるいは後の革命家が所属することになる。
著作
阮元の著作は非常に多いが、とくに、自身の幕府(政務上の秘書組織)を活用して作った巨大な編纂物によって現在も名が知られる[3]。
- 『経籍籑詁』(けいせきせんこ、1798年、106巻)は、古典に出現する語彙の訓詁をまとめて平水韻の順に並べたもの[4]。
- 『疇人伝』(ちゅうじんでん、1799年)は、数学者・天文暦学者の伝記集。上古から清代に至る中国の数学者243人、およびアテナイのメトンからイエズス会士のブノワに至る西洋人37人の伝記からなる[5][3]。
- 『十三経注疏』の校勘と出版(1816年、460巻)。阮元本はその校勘記とともに現在でも影印によって使用される。
- 『皇清経解』(1829年、1400巻)は、顧炎武以来の清代の経学研究書を集積したもの。のちに王先謙が『続皇清経解』を編纂した。
- 『四庫未収書提要』は、『四庫全書』に収められていない書の概要を記したもので、没後に出版された(5巻)[6]。
また、各地の地方志の編集や重刊も行い、土地ごとの詩文集を編纂した。
金石学についても貢献があり、『山左金石志』[7]、『両浙金石志』、『積古斎鐘鼎彝器款識』[8]などの著書がある。
文集に『揅経室集』[9]がある。

