天正18年(1590年)、誕生。父は伊勢貞為(『寛政諸家系図伝』)、あるいは伊勢貞景や伊勢貞良とも。母は松永久秀の長女もしくは孫娘ともされる。
12歳で豊臣秀頼のもとへ出仕。翌年、秀頼が参内した際に同車にて参内したため、公家衆より武士の娘を参内するとはと非難されたが、後陽成天皇勅定により平重盛の子孫のため仮親を立てずとも参内可能という特例を得た[1]。3か月奉公し、「弁宰相阿古大上臈」の官位を得る。
大坂の陣では山里曲輪の糒蔵にて秀頼・淀殿と共に自害した。大坂城の祠には「三十二義士」の一人として残る。院号は青松院。菩提寺は北野神社および青松院。