阿部雅信
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1910年、徳島県名西郡神山町に生まれる[1]。出生名は「定雄」であったが、後に知己を得た易者から雅信という名を勧められ、10年を費やし法的にも改名した[1]。
尋常小学校卒業後に上京し、木場の材木問屋へ奉公に入ったが、奉公先が倒産したため1932年に独立[1]。商材として当時東南アジアから日本に入りつつあったラワンにいち早く注目した[1]。ラワン材は公共建築物の資材として需要が急拡大し、ほぼ独占的にラワンを扱っていた阿部のもとに注文が集中、巨額の財を成した[1]。1941年末の太平洋戦争勃発に伴いラワンの輸入が止まり、一時内地材に切り替えたが、輸入は1950年より再開された[2]。
1964年に脳溢血で倒れ左半身不随となり、経営を長男の雅一郎に譲る[3]。以後は趣味の競馬を楽しみつつ家庭療養の日々を送り、1981年に死去した[3]。
