1393年、陳誠は挙人に、翌1394年には貢士となり、後に殿試において同進士出身の称号を得た。
1396年、サリク・ウイグル(撒里畏兀児、現在のツァイダム盆地西部地区)へ国境防衛施設設立のために派遣された。1397年、永楽帝により安南陳朝への使節として派遣された。1406年から1411年まで北京紫禁城の文淵閣(中国語版)において永楽大典の編纂に関わった。
1414年・1416年・1420年に陳誠は明の使節としてティムール朝の都のサマルカンドを訪れ、この際の見聞を西域番国志及び西域行程記(中国語版)に記した[2]。