雲龍院
京都府京都市東山区泉涌寺山内町にある寺院。泉涌寺別院
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歴史
当院は、南北朝時代の応安5年(1372年)に北朝の後光厳天皇の勅願により、竹巌聖皐を開山として創建された[1]。その後、康応元年(1389年)には後円融天皇により本堂「龍華殿」が建立されている[1]。また後小松天皇、称光天皇も当院を崇敬し、四天皇崩御の後は後山に御分骨所が営まれている[2]。
応永12年(1405年)の盂蘭盆会の夜に諸堂が焼失したが、応永35年(1428年)頃には再建されている[1]。
文明2年(1470年)には応仁の乱に巻き込まれて全焼し、後光厳天皇、後円融天皇の尊像を残すのみとなるほどの被害を被っている。しかし、文明14年(1482年)には後花園天皇の十三回御国忌が行われていることから、この頃には当院は復興されたようである[1]。
文亀2年(1502年)に後柏原天皇より御黒戸御殿を下賜されると、妙法修殿と称して写経の道場とした[1]。
江戸時代初期、如周宗師が隣接したいた龍華院を当院に併合する[1]。
この話を聞いた後水尾天皇により当院は造営費を寄進され、写経道場が再建された。また、寛永19年(1642年)は後円融天皇二百五十回忌となることから、後水尾天皇より写経会に要する仏具百余点も寄付されている[1]。
その後も当院は折々に御下賜金を賜って諸堂の修理が行われ、鎮守堂や鐘楼などの再建がなされ、東西に僧坊を設けて諸方より各宗の人達が集まって研鑽を励み多くの俊英を輩出した[1]。
江戸時代末期には玄関、方丈、勅使門を皇室より賜り、次いで歴代の御尊牌を奉安する霊明殿も1869年(明治2年)に再建された[1]。
境内
- 本堂「龍華殿」(重要文化財) – 康応元年(1389年)に後円融天皇により建立されたが焼失し、後土御門天皇の寄進により再建された。現在の堂は寛永年間(1624年 - 1644年)の再建で寄棟、こけら葺き[1]。
- 霊明殿 – 1869年(明治2年)再建。皇族の位牌堂[1]。
- 庭園 – 枯山水庭園。庭石の2つは東山七条にあった豊臣秀吉建立の方広寺大仏殿(京の大仏)の礎石と伝わる。
- 石灯籠 - 徳川慶喜が寄進したもの[1]。
- 勅使門 - 江戸時代末期に皇室より賜ったもの[1]。
- 玄関 - 江戸時代末期に皇室より賜ったもの[1]。
- 方丈(書院) - 江戸時代末期に皇室より賜ったもの。「悟りの窓」がある[1]。
- 庫裡
- 鐘楼
- 山門
文化財
重要文化財
その他
前後の札所
所在地
- 京都府京都市東山区泉涌寺山内町36


