露の五郎 From Wikipedia, the free encyclopedia 露の 五郎(つゆの ごろう)は、上方落語の名跡。 初代露の五郎 - 本項にて記述。 二代目露の五郎 - 後の二代目露の五郎兵衛。 三代目露の五郎 - 二代目の弟子である露の團四郎が2025年10月に襲名した[1]。 本名簱野 米三郎生年月日1893年4月8日没年月日 (1936-02-19) 1936年2月19日(42歳没)出身地 日本 初代 露(つゆ)の 五郎(ごろう) 本名 簱野 米三郎 生年月日 1893年4月8日 没年月日 (1936-02-19) 1936年2月19日(42歳没) 出身地 日本 死没地 京都 師匠 5代目林家正三 名跡 1. 林家三平(1900年? - ?)2. 初代露の五郎(? - 1936年) 活動期間 ? - 1936年 活動内容 芝居噺舞踊鹿芝居 表示 初代 露の五郎 (1893年4月8日 - 1936年2月19日) は、本名: 簱野米三郎。享年44。 父は「羅山」を名乗る冠句の宗匠で、息子に茶道など上品な芸事を習わせようとしたが、幼い時から寄席や芝居に興味を持つのを見て、結局その道を歩ませることになった。 初め5代目林家正三の門下で子役として林家三平を名乗る。1900年1月、7歳の時に大阪文芸館で初高座。色白の美男子であったため、17歳の時、歌舞伎の4代目中村芝雀(後の3代目中村雀右衛門)の門末に加わった。後、再び落語界に復帰し、上方落語の祖である露の五郎兵衛にあやかり、初代露の五郎を名乗る。 その経歴から芝居噺や山村流、若柳流の踊りを得意とし、殊に「槍さび」の地に乗せて舞う「丸橋忠彌」は絶品だったと言う。歌舞伎、踊りの世界にいただけに鹿芝居でも活躍。1936年、京都富貴席に出演中、急性肺炎により若くして死去。 SPレコードには『質屋芝居』『仇討曽我』『座頭殺し』『芝居噺し』があり、いずれも得意の芝居噺ばかりである。 脚注 [脚注の使い方] ↑ “三代目露の五郎 「師匠の名前に恥じないように」 襲名披露公演で意気込み”. Sponichi Annex (2025年10月24日). 2025年10月25日閲覧。 参考文献 『落語系圖』(月亭春松編) 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年) 『ご存じ古今東西噺家紳士録』(CD-ROM、APP、2005年) Related Articles