青山純
From Wikipedia, the free encyclopedia
スタジオミュージシャンとして様々なミュージシャンと共演し、ライブやツアーのサポートメンバーとしても精力的に活動した。特に1980年代から90年代、山下達郎のレコーディング、ライブ活動でのレギュラードラマーとしての活動が知られている。またロック・ポップス・ジャズなど、ジャンルを超えて幅広く活躍。初期はパール社製、80年代以降は主に独ソナー社製のドラムを用いた。息子の青山英樹、青山友樹(2018年に死去)もそれぞれプロドラマーとして活動している。
2014年1月19日、26日に放送された『山下達郎のサンデー・ソングブック』での青山の追悼特集(下述)の中で、この10年来は健康を害していたため、山下の3時間以上に及ぶライブでの演奏は体力的に難しい状況にあり、メンバーチェンジに至ったことが明かされている[1]。
来歴
- 高校時代 - 通っていたヤマハのドラムスクールで藤井章司と出会い、Char・佐藤準・新川博などと知り合う。
- 1975年(昭和50年)頃 - 高校卒業後、兄の友人だった杉真理のバンド(杉真理&レッド・ストライプス)のレコーディングに参加し、プロとして活動を開始する。
- 1977年(昭和52年)頃 - ベーシスト伊藤広規と知り合い、佐藤博のバックバンドとして活動開始。ハイ・ファイ・セット・杉真理・松任谷由実らのバックバンドを務める。
- 1979年(昭和54年) - THE SQUAREに参加し、渡辺建や仙波清彦と出会う。
- 1979年(昭和54年) - 1983年(昭和58年) - プリズムに参加。
- 1984年(昭和59年) - 仙波清彦率いる「はにわちゃん」「オレカマ軍団」「はにわオールスターズ」などに参加。
- 1987年(昭和62年) - キリング・タイムに加入。
- 1990年(平成2年) - セッションバンドSons & Daughters(後のFUTURE DAYS)結成。
- 1991年(平成3年) - 小川美潮のアルバム「ウレシイの素」共同プロデュース。
- 2000年(平成12年) - この年より2013年(平成25年)までMISIAのライブを継続的にサポート。
- 2002年(平成14年) - 山下達郎のバックバンドで結成されたネルソンスーパープロジェクト名義でアルバム「Nelson Magic」をリリース、山下達郎ツアー中にライブ。
- 2006年(平成18年) - MAMBABOOに加入。
- 2011年(平成23年) - 8月3日に株式会社アトス・インターナショナルからドラム教則DVD『青山純 一つ打ちの真髄』発売。
- 2012年(平成24年) - 12月5日、盟友・伊藤広規とのユニット「A*I」によるセッション音源が2枚組CD『A*I』としてリリース[2]。
- 2013年(平成25年) - 12月3日、肺血栓塞栓症で死去[3][4]。56歳没。
死後
- 2014年(平成26年)
- TOKYO FMの番組『山下達郎のサンデー・ソングブック』で、1月19日[5]、1月26日[6]の2回にわたり「極私的(きょくしてき)青山純 追悼特集」として、山下達郎から見たドラマー青山純の業績を偲ぶ特集が放送された。
- 1月30日、世田谷区の北沢タウンホールで「青山純さんを送る会」が執り行われた[7]。
- 4月19日に納骨。墓は家族の希望でソナーのドラムヘッドを模したデザインが採用され、ロゴマークも再現された。墓所の詳細は明らかにされていない[8][9]。
- 12月20日、BSフジの番組『HIT SONG MAKERS 〜栄光のJ-POP伝説〜』で、「青山純追悼スペシャル」と題して2時間にわたり特集される[10]。息子の青山英樹、青山友樹をはじめ多くのミュージシャンが出演。青山の功績を、彼らのインタビューや演奏を通して振り返った[10]。
主な活動
DVD
- 教則DVD『青山純 一つ打ちの真髄』(2011年)
- ライヴDVD『青山純Super Sessions feat.今剛×伊藤広規×KAZ南沢×エルトン永田×Mac清水 LIVE!』(2011年)