青憧社 From Wikipedia, the free encyclopedia 青憧社(せいどうしゃ)は、1938年3月に愛知県名古屋市で結成された写真グループである[1]。 山本悍右、吉武源雄、金森真一、松和久平が発起人となり、戦時下まで活動を続けた[1][2]。山本は同会の会報『CARNET BLEU』を編集発行し、1941年3月25日の第1号から1942年8月10日の第5号までが確認されている[2]。 青憧社は、名古屋の若い写真人による集団として発足した[1]。1938年当時の会員数は21名で、毎月第二木曜日に例会を開いていた[1]。出品原画は四ツ切に限られ、額装のうえで提出され、互選によって10点を入選としていた[1]。また、特定の指導者を置かず、全作品について討議を行う運営がとられ、入会には全会員の承認を必要とした[1]。事務所は名古屋市西区伝馬町の金森真一宅に置かれていた[1]。7 戦時下の活動 1941年の青憧社は同人15名、会友2名からなり、戦時下にも毎月の撮影会と例会を続けていた[2]。同会は自由な雰囲気のもとで活動を継続していた[2]。青憧社は、『夜の噴水』終刊後も山本悍右が名古屋で写真と出版の活動を継続した場の一つでもあった[2]。 会報『CARNET BLEU』 山本悍右は、青憧社の会報として『CARNET BLEU』を編集発行した[2]。創刊号は1941年3月25日、終刊は1942年8月10日付の第5号であった[2]。各号は220×150ミリのアート紙二つ折り4頁で、第2号・第3号は未見、第4号・第5号は校正刷りのみが確認されている[2]。第5号にはフィリップ・スーポー「寫眞の職分」の訳文が掲載され、誌名表記は最終号までフランス語のままだった。[2]。 脚注 1 2 3 4 5 6 7 岡戸, 武平『中京の写真界99年 : 横井吉助三代の歩み』中部経済新聞社、1972年、77頁。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 山本俶生、稲田威郎、田中晴子 編『写真展 シュルレアリスト 山本悍右 不可能の伝達者』監修: ジョン・ソルト、金子隆一、東京ステーションギャラリー、2001年、204-205頁。 関連項目 ナゴヤ・フォトアバンガルド Related Articles