山本悍右

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生誕 山本 勘助(読み同じ)
(1914-03-30) 1914年3月30日
日本の旗 日本愛知県名古屋市
死没 (1987-04-02) 1987年4月2日(73歳没)
国籍 日本の旗 日本
著名な実績 写真家詩人
山本 悍右
やまもと かんすけ
山本悍右像
生誕 山本 勘助(読み同じ)
(1914-03-30) 1914年3月30日
日本の旗 日本愛知県名古屋市
死没 (1987-04-02) 1987年4月2日(73歳没)
国籍 日本の旗 日本
著名な実績 写真家詩人
運動・動向 シュルレアリスム
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山本 悍右(やまもと かんすけ、1914年3月30日 - 1987年4月2日)は、名古屋市を拠点に、戦前から戦後にかけて活動した日本の写真家詩人、編集者であり、日本におけるシュルレアリスム写真の重要な作家の一人である[1][2]

1930年代から1940年代にかけて、名古屋の前衛的な詩・写真・出版のネットワークのなかで、シュルレアリスム写真やフォトモンタージュを制作し、詩誌『夜の噴水』の編集・発行、VOUへの参加、写真グループ青憧社の会報『CARNET BLEU』の編集など、詩・写真・出版を横断して活動した[1][2]

その活動は戦時下の統制強化のなかで行われ、『夜の噴水』の終刊や警察の取り調べを経験し、ナゴヤ・フォトアバンガルドの改称と解散にも直面したが、戦後もVIVI美術文化協会写真部、日本主観主義写真連盟などに関わり、前衛写真と詩の実践を継続した[2][3][1]

没後は2001年の東京ステーションギャラリーにおける回顧展、2013年のJ・ポール・ゲティ美術館での「Japan's Modern Divide」展、2021年・2022年のメトロポリタン美術館テート・モダン共同企画「Surrealism Beyond Borders」展、名古屋市美術館東京都写真美術館の展覧会などを通じて再評価が進んだ[4][5][6][7][8][9]

作品は名古屋市美術館、東京都写真美術館、J・ポール・ゲティ美術館、シカゴ美術館スミソニアン博物館ニューヨーク近代美術館などに収蔵されている[10][11][12][13][14][15]

出生と名古屋の写真環境

『独立』B.1. 1932年1月
独立写真研究会
表紙写真:山本勘助(悍右)

愛知県名古屋市栄区鉄砲町(現・中区)生まれ。本名、勘助。明治45年(1912年)の愛友写真倶楽部創立会員で代表であった山本五郎(1880年-1941年)の長男。実家、山本五郎商店は名古屋広小路で写真機械店と写真館を営んでいた[1]

シュルレアリスムとの出会いと初期の写真活動

昭和初期『詩と詩論』、『Ciné』(シネ)を通してシュルレアリスムを知り、15歳頃より作詩を始める。名古屋第二商業学校卒業後上京、アテネ・フランセフランス語を学んだ。治安維持法下の東京で左翼思想に触れ、以後革命にほのかな夢を抱くようになる。明治大学を中退、名古屋に戻り、1931年、17歳の時、新興写真グループ「独立写真研究会」の結成に参加、会誌『独立』に作品を発表した[1]

1932年4月、『独立』B・2号に発表された“或る人間の思想の発展 靄と寝室”(現・名古屋市美術館蔵)は山本悍右の発表された作品として現存する最も古い作品である[1]

名古屋の前衛ネットワークと出版活動

VOU』 第30号 1940年
表紙写真:山本悍右
夜の噴水』 第1号
1938年11月1日
編集・発行人:山本悍右
写真:山本悍右

1933年以降、日本限定版倶楽部、「工藝」、裳鳥會限定版俱楽部、「書物俱楽部」などに参加し、美書や限定本への関心を深めた。1935年には「日本愛書會」にも参加した。1936年頃には山本五郎商店内部に「A.B.C.P.C.」を結成し、同年、名前を悍右に改めた。名古屋・丸善画廊で第1回個展を開き、フランスから『CAHIERS D'ART』誌やG.L.M.社の刊行物などを取り寄せるようになった[1][7]

1937年には、瀧口修造山中散生による春鳥会主催「海外超現実主義作品展」が名古屋・丸善画廊で開催され、その経験はのちの『夜の噴水』創刊の契機となった。同年、山中散生、下郷羊雄らが結成したナゴヤアバンガルドクラブの写真部会にも参加した[1]

戦時下の統制と前衛活動

CARNET BLEU
青憧社会報 第1号
1941年3月刊
編集・発行人:山本悍右

1938年、「青憧社」を結成し、会報『CARNET BLEU』を編輯、発行。戦時下、国策により出版物が日本名に改称させられて行く中、1942年8月、第5号(終刊)までタイトルにはフランス語を使用、刊行した[1]

同じく1938年、『夜の噴水』を編輯、刊行した[脚注 1][1]。各号は限定部数で刊行され、訳詩、散文、詩、写真、図版を組み合わせた凝った造本で知られるが、特高の取り調べを受け、官憲の圧力により1939年10月の第4号で終刊となった[1][2][3][16]

山本は後年、戦時中に特高から呼び出しを受け、『夜の噴水』が「発禁になった」ことを回想している。取調べでは、自作のシュルレアリスム詩の意味や、シュルレアリスム写真が「わが国の戦争にどのように貢献するのだ」と問いただされたという。山本はこれを「恐ろしい経験だった」と振り返っており、警察から罪を着せられるおそれのあることは口にしないよう注意しながら応答し、『夜の噴水』の発行中止を条件に釈放されたと述べている[16]

1939年には、山中散生下郷羊雄坂田稔らとナゴヤ・フォトアバンガルドを結成した。戦時下の統制強化のなかで、同会は1939年11月頃に「名古屋写真文化協会」と改称し、1941年に解散した。戦時体制の強化のもとでは、名称に「アバンガルド」を含むこと自体が政治的圧力の対象となり、前衛写真運動全体も急速に後退していった。山本は、グループがより保守的な方向へ動き始めたことを受け、1939年末までにこれを離れた[1][17][18]。山本は後年、この時期について「写真による革新と民族主義の交合。そういったことが考えられるのか。(中略)その夜がナゴヤ・ホト・アバンガルドの終滅の日である」と記している[1][19][17]

同年より北園克衛VOU会員となり、以後1978年の解散まで『VOU』誌上や形象展で作品を発表し続けた。[1]

戦前から「哲学会」会員であった山本は1940年『フォトタイムス』7月号に当時の国家権力による言論、思想弾圧を描いた作品3点を発表し、「・・・・・・牢獄の暗い石壁のなかにも自由があるように」と書き添えた。掲載作の一つである「伽藍の鳥籠」は、戦時下の言論統制や拘束と関わる作品として言及されている[1][3][20]

戦後の活動

戦後も「VIVI」(1948-1950)、「美術文化協会写真部」(1949-1954)、「窓」(1953-1958)、「炎」(1955-1961)、「日本主観主義写真連盟」(1956)、「ESPACE」(1956-1958)、「アルキシネ」(1958)、「前衛詩人協会」(1958)、「ナゴヤファイブ」(1963-1964)を結成[1]

また、VOUでは戦後も継続して作品を発表し、戦前から戦後にかけて半世紀以上にわたり、前衛写真と詩の実践を継続した[1]

晩年

1965年頃より中部学生写真連盟顧問として10年間程後進の指導にあたった[1]

1987年名古屋市にて肺がんで死去、生前の意志により名古屋大学医学部に献体され医学の進歩のために提供された[1]

作風と表現方法

山本悍右の作風は、初期のコラージュから、シュルレアリスム写真、フォトモンタージュ、構成写真、戦後の連作へと展開した[1][2]。 単に被写体を記録するのではなく、写真や印刷物の断片、物の取り合わせ、画面構成の工夫を通じて、現実をわずかに逸脱した像や、互いに無縁に見える対象を結び合わせるところに、その表現の特色がある[21][1]

初期のコラージュと新興写真

その出発点として重要なのが、1931年から1932年にかけて『独立』に発表した「或る人間の思想の発展」連作である[1]。 1932年4月発行の『独立』B・2号に掲載された《或る人間の思想の発展…靄と寝室》は、新聞記事の断片の上に女性の唇や脚、顔の切り抜きを貼り重ねたコラージュで、山本の発表作品として現存する最も古い作品である[21][1]金子隆一2001年の回顧展図録で、この作品の制作年が1932年と確認されたことを、山本の早熟さを示すだけでなく、1930年代日本における近代写真表現の成立と展開を考えるうえでも画期的な発見と位置づけた[21]。 同論考はまた、『独立』を名古屋の新興写真運動の中心的な媒体として捉え直し、東京や関西だけでなく、名古屋もその重要な中心地の一つであったことを示している[21]

戦前の構成写真とシュルレアリスム写真

1930年代後半から1940年前後にかけては、こうしたコラージュの発想が、物の配置や画面構成を重視した写真表現へと広がった[1][2]

山本は『夜の噴水』の編集・刊行や青憧社での活動と並行してシュルレアリスム写真を制作し、1940年8月5日発行の『廣角』II号には、詩「伽藍の傳説」とともに《伽藍の鳥籠》を発表した[1]。 《伽藍の鳥籠》は、受話器と鳥籠を組み合わせた二枚の写真からなる作品で、戦時下の名古屋における山本のシュルレアリスム写真を代表する作例の一つである[1]。 同時期には帽子を扱った作品や《伽藍の鳥籠》のヴァリエーションも残されており、身近な物を異なる関係のなかに置き換えることで、日常的な対象を異化して見せる傾向がうかがえる[22][23]

戦後の連作と複合的実践

戦後もこの方向は途切れず、1956年には、複数の写真を連続的に提示することで情景の変化と物語性を生み出す4点組写真《空気のうすいぼくの部屋》を制作した[1]。 この作品は翌1957年に『VOU』58号に掲載され、1956年の個展評でも「フォトストーリー風」な試みとして言及されている[1][24]飯沢耕太郎はこの作品を、報道写真の手法としての組写真ではなく、むしろありえない状況を構築していくような作例として取り上げ、一枚目ではソファに座る「ぼく」が顔のあたりから消えはじめ、二枚目では上着と靴だけが残り、三枚目では上着が消えかけ、四枚目ではテーブルもソファも消え失せるという構成に、不思議な余韻が残ると述べている[25]。 飯沢はさらに、この作品を「シークエンス(連続場面)」の手法による日本ではきわめて早い実験作として位置づけ、アメリカの写真家デュアン・マイケルズが本格的にシークエンス作品を発表しはじめる1960年代後半より10年以上早いものとして評価している[25]

さらに1958年の第1回ESPACE展では、写真のほか、詩、立体写真、回転する立体写真、モビール、オブジェも出品しており、山本の実践が写真単独にとどまらず、詩や立体、展示空間をまたぐものであったことがわかる[1]

こうした展開は、山本が写真を記録の手段としてではなく、イメージを組み立てる媒体として捉えていたことを示している[21][1]

研究史・再評価

1930年代の日本におけるシュルレアリスム写真は、写真史とシュルレアリスム史の双方で長く十分に整理されず、個別の作家や作品への言及が先行し、その全体像は見えにくいままであだった[26]。1990年の名古屋市美術館「日本のシュールレアリスム 1925-1945」展は、詩、絵画、版画、デザイン、写真を横断して戦前日本のシュルレアリスムを総覧するもので、山本も同時代のより広い運動史のなかに位置づけられた[27][28]2001年の東京ステーションギャラリー回顧展は、未発表作を含む写真、ドローイング、『夜の噴水』などをまとまって紹介し、日本における山本再評価の重要な節目となった[4][26]

2013年のJ・ポール・ゲティ美術館Japan's Modern Divide」は、濱谷浩と山本を並置し、日本写真の近代化に対する異なる応答を示す作家として山本を紹介した[5][29]。同展では、山本がヨーロッパのシュルレアリスムに触発されながら日本の前衛写真を推し進めたことに加え、戦後にも検閲の脅威が後退した状況のもとで、挑発的な観念を喚起する前衛的表現を追求し続けたことが示された[5]。この展覧会によって、山本は日本の一地方の作家としてではなく、近代日本におけるモダニティへの応答を複数の方向から示す作家の一人として国際的に紹介された[5][29]

2018年のテート・モダンShape of Light: 100 Years of Photography and Abstract Art」は、写真と抽象芸術の関係を探る最初の大規模展として構成され、山本の作品を国際的な抽象写真史の文脈に接続した[30][31]。続く2021年・2022年のメトロポリタン美術館テート・モダン共同企画「Surrealism Beyond Borders」は、歴史的・地理的境界を越えてシュルレアリスムの地図を描き直すという構想のもとで、山本を名古屋を拠点とする作家として組み込み、日本の前衛写真を、西欧中心の美術史観だけでは捉えきれないものとして示した[6][32][7]。この共同企画の図録と展覧会の枠組みによって、山本は戦前・戦中・戦後をまたぐ日本の前衛写真史の内部にとどまらず、越境的なシュルレアリスムの再編成のなかで読むべき作家として可視化された[6][32][7]

近年の制度的評価は、山本が参照される文脈そのものを広げている。2021年の名古屋市美術館『写真の都』物語 ―名古屋写真運動史:1911-1972―」は名古屋写真運動史のなかで山本を扱い、2022年の東京都写真美術館アヴァンガルド勃興 近代日本の前衛写真」は近代日本の前衛写真を総覧する枠組みのなかで山本を位置づけた[9][8]。2024年のシカゴ美術館「Foreign Exchange: Photography between Chicago, Japan, and Germany, 1920–1960」は、20世紀前半の写真を国際的な往還と交流の歴史として捉える企画のなかに山本を含め、日本写真を複数地域の接続として読む視点を示した[33]。2025年から2026年にかけてのスミソニアン博物館「Cut + Paste: Experimental Japanese Prints and Photographs」は、館蔵品のみで構成した企画展のなかで、複数の写真・版画技法を組み合わせて複層的な像を生み出す日本の作家の一人として山本を紹介し、1930年代から1970年代に及ぶ作品を展示した[34][12]。また、ニューヨーク近代美術館のオンライン・コレクションでも《Icarus's Episode》《Oval Landscape》の2点が公開されている[13]。このように山本は、名古屋の地域史だけでなく、近代日本の前衛写真史、抽象写真史、国際的なシュルレアリスム史、写真をめぐる国際的な交流、実験的な版画・写真表現の展示といった複数の文脈で紹介された[9][8][30][6][33][34][13]

人物像

山本・北園・辻 1959年
第12回VOU形象展会場にて
  • “ぼくはたいへん早熟な少年であったが、たばことか酒などに示す大人のスタイルに全く興味がなかった。”[35]
  • “「多分にニヒルチックで、執拗で、そして本を愛する男」だと下郷羊雄が評した。”[36]
  • “僕は立身したり、ひとから認められる人間にはなってやらない。彼等のスノビスムには決してまかれないぞ。僕は僕の清純なものを決して濁らせまい。”[37]
  • “僕は政治的にはアナアキイで、思想的にはエレジイなリベルタン、身の寄せるところがないのでボヘミアンたらざるを得ない。”[38]
  • “疑うことから疑ったモンテーニュは・・・・・とパスカルは書いた。ぼくの暗い谷間の遠い灯はもしかするとパスカルだったかもしれない。「思考する故にこそ人間の尊厳がある。だから正しく思考されるべきだ」身の回りから思想を身につけていくことは現代の私達のパスカル的転回だとはいえないでしょうか」”[39]
  • 終生、本、レコード、パイプを放すことのなかった愛書家で愛煙家であった。
  • アンドレ・ブルトンから『BIEF』5号が贈られてきた。
  • 詩人の北園克衛とは生涯の友であった。

山本悍右語録

  • “芸術作品と云ふものは、社会に於いてある何らかの出来合いのものに対する何らかの反抗精神に依って生まれる。その精神は次の新しい時代を指し示し動かせるものであるべきだ。純粋精神は新時代を招く予言的精神であるべき答えである。現代、この強烈なる意欲を僕たちは期待することが出来るのであろうか。時代への反逆を、そして時代意思の変革を。”[40]
  • “日本の新聞は爆撃が人道的ではないと盛んに書いている。戦争は人道的なことだとでも思っているのかしら。いまさら、これは、はなはだ卑怯な言葉である。”[41]
  • “超現実は現実の中にあるという言葉とともに、新しい写真はたゆまない実験の中で新しい美しさを作っていく。”[42]
  • “抽象的な喋り方をしてまともなものを作っている東松。
ばらばらのものを組み立てるような説明的な話し方をしながら抽象的な作品を作る金。(加藤金一郎)
ばらばらにこわした物体の物質的な言葉を並べて構成を考えない話し方をしながら具象の作品を作るオレ。
どいつも生活とイデアが離ればなれだということなのだろうか。”[43]
  • “孤独がむりやり診断せられ、診断がより深い孤独を作っていく。・・・・・・・・二十世紀初期的自由はすでに今日孤独よりほかに与えるものがないのであろうか。”[44]
  • “生きかたが世間なみで社会制度の恩恵を利用しながら芸術は政治ではないと言っているのはおかしいだろう。”[45]
  • “カネをもうけるという経済成長のリクツはもうけたカネをその次のカネもうけに回すということでカネはつねにもうけるためにあるという。何におカネを使うかでその価値が決まるのだから成長のリクツはまさにバカげているといえる。”[46]
  • “オリンピックはもうけるためにやるべきだと言った人がいる。明快な発言だけどそれならオリンピックは商社で選手は商品、その商品に魅力をそえるのが記録だということになる”[47]

作品の収蔵

主要な展覧会

Kansuke YAMAMOTO Exhibition 1956. Tokyo & Nagoya .
  • 1936年 個展 / 丸善画廊、名古屋
  • 1939年 青憧社展 / 丸善画廊、名古屋
  • 1948年-1950年 VIVI展 / 丸善画廊、名古屋
  • 1949年 モダンアート展 / 日本橋三越東京
  • 1949年-1954年 美術文化協会展 / 東京都美術館
  • 1952年 造形写真作家展 / 青柳広小路店 名古屋
  • 1953年 窓展 / 名古屋、神戸
  • 1953年 抽象と幻想:非写実絵画をどう理解するか展 / 東京国立近代美術館
  • 1954年 オール関西フォトコンテスト
  • 1956年-1961年 炎展 / 小西六ギャラリー(現・コニカミノルタプラザ)、東京 大阪 名古屋
  • 1956年 国際主観主義写真展 / 日本橋髙島屋、東京
  • 1956年 個展 / 銀座・松島ギャラリー、東京
  • 1956年 個展 / 名古屋・丸善画廊
  • 1957年 個展 / 福岡・小西六ギャラリー
  • 1957年-1976年 VOU形象展 / 櫟画廊、東京.他
  • 1957年 モダンアート写真グループ展/ 櫟画廊、銀座
  • 1958年 ESPACE展 / 丸善画廊、名古屋
  • 1958年 VOU写真展 櫟画廊 東京
  • 1958年 日本主観写真展 / 富士フォトサロン(現・富士フイルムフォトサロン)、東京
  • 1958年 写真と詩の前衛展 / 美松書房画廊、東京
  • 1959年 VOU実験写真展 風月堂 東京
  • 1960年 The Sense of Abstraction 展 / ニューヨーク近代美術館ニューヨーク
  • 1960年 主観写真展 / 小西六ギャラリー、東京 
  • 1960年 全日本写真サロン審査員 東京
  • 1963年 朱泉会展
シュルレアリスト -不可能の伝達者- 山本悍右展 東京ステーションギャラリー 2001年
『バタフライ』 山本悍右著
  • 2004年 郷土の美術 展 / 名古屋市美術館
  • 2005年 写真はものの見方をどのように変えてきたか 展 / 東京都写真美術館
  • 2006年 山本悍右展 / Stephen Wirtz Gallery、San Francisco, U.S.A.
  • 2006年 キュレーターズ・チョイス展 / 東京都写真美術館
  • 2006年 『名古屋』の美術 -これまでとこれから- 展 / 名古屋市美術館
  • 2006年 コラージュとフォトモンタージュ 展 / 東京都写真美術館
  • 2006年 山本悍右の世界 / 新島講座 同志社大学東京オフィス
  • 2007年 The New Modern: Pre- and Post-War Japanese Photography 展 / サンタバーバラ美術館、サンタバーバラ[55][56] 
  • 2007年 コレクションによる シュルレアリスムの世界 展 / 名古屋市美術館
  • 2007年 20世紀美術探検 展 / 国立新美術館、東京
  • 2008年 シュルレアリスムと写真 展 / 東京都写真美術館
  • 2009年 名古屋市美術館 20年のあゆみ 展 / 名古屋市美術館
  • 2010年 コレクションを極める 展 / 名古屋市美術館
  • 2012年 Drawing Surrealism 展 / ロサンゼルス郡美術館ロサンゼルス[57]
  • 2012年 日本・オブジェ 1920-70年代 展 / うらわ美術館
Kansuke Yamamoto exhibition 2006. STEPHEN WIRTZ GALLERY, SAN FRANCISCO.
Paris Photo 2015 amanasalto 山本悍右作品
山本悍右展 2017 タカ・イシイギャラリー 東京
山本悍右の作品 KANSUKE YAMAMOTO. “Icarus’s Episode,” 1949

個展図録

主要な作品

  • 或る人間の思想の発展…靄と寝室, 1932, 山本悍右, コラージュ & ゼラチン・シルバー・プリント. 名古屋市美術館 所蔵作品.
  • 題不詳, 1933, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 25.2 × 30.0 cm. 個人所蔵. .
  • 題不詳, 1938, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 18.7 × 24.5 cm.
  • 題不詳, 1938, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 15.9 × 24.6 cm. 名古屋市美術館 所蔵作品.
  • 題不詳, 1939, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 24.4 × 29.6 cm.
  • 無題, 1930年代, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 43.8 × 36.2 cm.
  • 伽藍の鳥籠, 1940, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 25.7 × 17.9 cm. シカゴ美術館 所蔵作品.
  • 伽藍の鳥籠」のヴァリエーション, 1940, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 30.2 × 24.8 cm. 名古屋市美術館 所蔵作品.
  • 自画像, 1940, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 46.0 × 56.4 cm. 個人所蔵.
  • 題不詳, 1940年頃, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 25.2 × 17.7 cm.
  • 帆船の見える風景, 1941, 山本悍右, コラージュ, 24.5 × 30.3 cm.
  • 自画像, 1949, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 25.2 × 17.9 cm. 個人所蔵.
  • 海の見える風景, 1949, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 27.0 × 18.4 cm.
  • 夢の通路, 1949, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 30.0 × 24.9 cm.
  • 閉じた肉体, 1949, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 31.1 × 24.8 cm. サンタバーバラ美術館蔵
  • 漂流記, 1949, 山本悍右, コラージュ, 30 × 24.8 cm. J・ポール・ゲティ美術館 所蔵作品 
  • マダム Q, 1950, 東京都写真美術館 収蔵作品[69]
  • はなやかな出発, 1950, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 27.8 × 22.7 cm.
  • 浮遊する都市, 1950, 山本悍右, コラージュ, 15.7 × 22.4 cm. 個人所蔵.
  • イサム・ノグチ, 1950, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 23.4 × 18.2 cm.
  • 追憶, 1953, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 31.1 × 25.4 cm.
  • 憩いの季節, 1953, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 27.5 × 22.9 cm. 個人所蔵.
  • 眠りの海, 1953, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 37.6 × 31.0 cm. 個人所蔵.
  • 冗談の分娩, 1956, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 42.5 × 55.6 cm. 個人所蔵.
  • バラとシャベル, 1956, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 31.9 × 34.9 cm. 個人所蔵.
  • 風景とたそがれの距離, 1956, 山本悍右, クロモジェニック・プリント, 43.2 × 56.5 cm.
  • 美しい通行人,山本悍右, クロモジェニック・プリント.
  • 空気のうすいぼくの部屋, 1956, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 34.9 × 42.9 cm. 個人所蔵.
  • 空気のうすいぼくの部屋, 1956, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 35.2 × 42.2 cm. 個人所蔵.
  • 空気のうすいぼくの部屋, 1956, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 35.4 × 43 cm. 個人所蔵.
  • 空気のうすいぼくの部屋, 1956, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 35.2 × 42.9 cm. 個人所蔵.
  • 通り過ぎた人, 1956, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント. 個人所蔵.
  • 冷たい人, 1956, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 43.8 × 36.2 cm. スミソニアン博物館所蔵
  • 黄檗」シリーズより, 1956, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント.
  • 歴史の素性, 1956, 山本悍右, クロモジェニック・プリント, 52.5 × 47.8 cm.
  • 写真に関するスリリングな遊び, 1956
  • 閉ざされた部屋, 1958, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント, 35.9 × 45.0 cm.
  • 忘れた人, 1958, 山本悍右, J・ポール・ゲティ美術館 所蔵作品.
  • 固い、コバルトの砂漠を・・・), 1958, 山本悍右
  • わたしのベンチ, 1963, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント.
  • 馬の胴体の中で考えていたい, 1964, 山本悍右 ゼラチン・シルバー・プリント, 22.7 × 18.1 cm. J・ポール・ゲティ美術館 所蔵作品.
  • 朝、突然に, 1968, 山本悍右.
  • ルーペ rendez-vous, 1970, 山本悍右.
  • バタフライ, 1970, 山本悍右, ゼラチン・シルバー・プリント.
  • 銀製の器と籠の中の鳩よ 今日とつぜん活字のように春の雨が降る シオランよ いつかまた話すこともあるだろう, 1979, 山本悍右.
  • 黒い火薬の爆発するバラの花のしたの 少女は編み毛をなびかせて広場を走る あかつきが笑い声をたてて肩を揺った, 1983, 山本悍右.

著書

山本悍右 2017年4月 日本芸術写真協会発行
  • 1938年〜『夜の噴水
  • 1970年 『バタフライ』 名古屋豆本刊(自装)
  • 2017年『Kansuke Yamamoto』 Photographs and texts. Published by : Fine-Art Photography Association Tokyo

系譜

山本家の先祖は1332年に後醍醐天皇の倒幕隠謀が露顕し隠岐島に流された時、美濃岐礼庄に配流された中納言大江貞奥(?-1334年)で、子孫が山本と称した。その子、山本判官桜待中納言大江貞元は「太平記」の吉野の戦いに記述がある。岐礼庄は現在の岐阜県揖斐川町にあり明治時代の中ごろ祖父の代まで居住していた。山本悍右は貞奥より本家25代目である[70]

初代:山本中納言大江貞奥 - 2代:山本桜待中納言貞元 - 3代:貞行 - 4代:貞房 - 5代:貞常 - 6代:貞安 - 7代:貞純 - 8代:貞時 - 9代:貞光 - 10代:貞直 = 11代:数馬貞正 - 12代:貞久 - 13代:重貞 - 14代:貞宅 - 15代:貞継 - 16代:貞昌 - 17代:治五右衛門貞宅 - 18代:作兵衛貞重 - 19代:五左衛門貞時 - 20代:五左衛門貞栄 - 21代:五左衛門貞篤 - 22代:五左衛門貞陳 = 23代:久吉貞路 - 24代:五郎貞真 - 25代:悍右

[71]

文献

展覧会カタログ

その他多数

書籍

  • 名古屋市美術館 編集: 神谷浩・角田美奈子, 執筆: 山脇一夫・吉田俊英・深谷克彦・山田諭・竹葉丈・角田美奈子・原沢暁子・伊藤優子『名古屋市美術館コレクション選』, 1998
  • 長野重一飯沢耕太郎木下直之『日本の写真家〈15〉小石清と前衛写真』, 岩波書店,1999
  • 東京都写真美術館『日本写真家事典―東京都写真美術館所蔵作家 (東京都写真美術館叢書)』淡交社, 2000
  • ジョン・ソルト(訳:田口哲也)編集委員:高階秀爾小島孝之大橋良介田中優子橋本典子「日本のシュルレアリスム 山本悍右をめぐって」日本の美学 第35号, 燈影舎,2002
  • 千葉一幹『写真展シュルレアリスト山本悍右—不可能の伝達者』「展覧会カタログの愉しみ」編著:今橋映子, 東京大学出版会, 2003
  • 飯沢耕太郎『眼から眼へ 写真展を歩く 2001−2003』みすず書房, 2004
  • 藤村里美東京都写真美術館『写真の歴史入門 第2部「創造」モダンエイジの開幕』, 新潮社, 名古屋市美術館, 2005
  • 田口哲也『山本悍右の世界 : 世界に誇る日本のシュールレアリスト写真家』同志社, 2007
  • ジョン・ソルト『北園克衛の詩と詩学 意味のタペストリーを細断する』監訳:田口哲也, 思潮社, 2010
  • 石原輝雄『三條廣道辺り—戦前京都の詩人たち』, 銀紙書房, 2011
  • Majella Munro, "Communicating Vessels: The Surrealist Movement in Japan 1925-70", Enzo Arts and Publishing Limited, 2012
  • 飯澤耕太郎、伊奈信男、John Szarkowski、黃亞紀『寫真物語(上):日本攝影大師語錄1889-1989』編者:黃亞紀, 亦安工作室, 2012
  • 飯沢耕太郎『深読み! 日本写真の超名作100』パイインターナショナル, 2012
  • 木下信三「山本悍右 (1914-1887)」『東海の異才・奇人列伝』編集:小松 史生子, 風媒社, 2013
  • Melusine n.36, Editions L'Age d'Homme, 2016 Paris.
  • PARIS PHOTO BY KARL LAGERFELD. Production and printing: Steidl, 2017

記事

テレビとビデオ

写真ギャラリー

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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