青春讃歌 暴力学園大革命

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監督 内藤誠
脚本
製作
  • 安斉昭夫
  • 寺西国光
(企画)
青春讃歌 暴力学園大革命
A Violent School Revolution[1]
監督 内藤誠
脚本
製作
  • 安斉昭夫
  • 寺西国光
(企画)
出演者
音楽 菊池俊輔
撮影 出先哲也
編集 祖田富美夫
製作会社 東映東京撮影所[2][3]
配給 東映
公開 1975年6月7日
上映時間 78分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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青春讃歌 暴力学園大革命』(せいしゅんさんか ぼうりょくがくえんだいかくめい)は、本宮ひろ志による日本漫画[4]、およびそれを原作とし、1975年6月7日東映で公開された日本青春映画[1][3][5][6]星正人の俳優(主演)デビュー作で[1][7]岩城滉一の俳優デビュー作[6][8][9]

城明第三高校の新番長に任命された天田功は、成績優秀、スポーツ万能で正義感が溢れ女生徒たちには人気抜群。天田は慈悲と残虐をもって学校を統括するという独自の番長道を掲げ、校長や生徒会は戸惑う[1][2][3][4]

スタッフ

キャスト

製作

1974年7月に公開された西城秀樹主演、早乙女愛ヒロインに抜擢した松竹愛と誠』と1975年の東宝の正月映画、山口百恵主演の『伊豆の踊子』の大ヒットにより[10]邦画各社は1975年の年間ラインナップにアイドル映画を多数組み込んだ[10][11]暴力エロを看板とする東映アイドル映画の製作を増やすと発表した[4][10][12][13]。1975年2月19日に東映本社岡田茂東映社長が、上半期の東映ラインナップと製作方針を発表し、その一つとして「少年少女雑誌掲載のものを中心にファッション性を帯びたものを製作し、中・高生層を狙う」などと述べた[13]。また、1975年4月7日に同じく東映本社で本作の製作発表会見があり[12]、この席で岡田が「この映画は東映の若い観客層拡大を狙う新路線だ。今後は、二本立てのうち一本は19歳以下の若い層むきの映画を作り、若い世代のスター、ファンを育てていきたいと考えている。企画意図としてヤングに読まれている硬派のものとしてシリーズにしたい。星正人は、東映としては渡瀬恒彦伊吹吾郎以来、久しぶりの新人デビュー作となる」と話した[4][7][12]。本作は東映が松竹・東宝のヤング路線に対抗すべく、新しい路線開拓を企図した青春路線第一作[2]。1975年は東映所属の志穂美悦子の人気が爆発した年であったが[12][14]、星も東映が売り出しに力を入れた役者だった[7][15]。企画自体は完全に前述の『愛と誠』を意識したものだが[12]、当時は東映も若い観客の影響力が大きくなった市場を無視できない状況にあった[12]

キャスティング&撮影

1975年3月クランクイン[9]、当初は1975年5月封切予定と告知されていた[9]林寛子の出演は、新人・星では興行不安もあったことから、既に人気のあった林を招聘して話題を作るためだが[15]、林は子役時代からかなりの映画に出演していながら「映画は初めてなんですよ。チャンスがあったら、もっと映画に出たいですね」と話した[15]。林の出演シーンの撮影は1975年4月28日[15]。他に生徒会長役の長谷直美佐藤佑介もかなり人気があった[4]。椎名役の江川ひろしはコロンビア所属の歌手で、1974年4月に「ティーンのハートを掠奪する」というキャッチフレーズシングル「花嫁は泣いていた」でデビューしていた[11]。当時はアイドル歌手を映画に引っぱり出そうと各映画会社で争奪戦が激化しており[11]、東映が江川の若さとルックスに目を付けて準主役に抜擢した[11]東京タイムズ1975年4月22日付にはファイティング原田が出演すると書かれているが[4]ガッツ石松に交代したものと見られる。

作品の評価

『映画年鑑 1976年版』には「失敗に終わった」と書かれている[16]。一連のヤング向け映画はヒットせず[17]、自身で「19歳以下を取れ」と指示した岡田茂東映社長は「片番は従来の東映調、片番はヤング向け、水と油の番組だからどっちも客を逃した。これは営業の責任だ。結果見ていいとか悪いとかいうのは評論家のいうことで、プロは当てなきゃダメだよ。この19歳以下の層を取るというのは一番難しいことで、松竹も東宝もこれを狙って試行錯誤を繰り返してきてるよね。東映はまだ興行だけでメシが食える会社になっていないんだ。東映は製作でメシを食ってゆく会社なんだよ」などと評した[17]

同時上映

脚注

外部リンク

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