出水中央高時代は、甲子園出場経験はなかった。
一浪後、九産大へ入学。福岡六大学リーグでは1年秋に新人賞[1]、4試合連続本塁打[1]や2回の本塁打王[2]など、4年間でリーグ記録の通算22本塁打を記録。ベストナイン2回[3]。
リーグでは同学年の外野手に柴原洋がいた九州共立大学が強く、全国大会へは出場できなかった。
1996年のドラフト会議で西武ライオンズに6位指名を受け入団するも、一軍出場がないまま2004年限りで戦力外通告を受ける。その後12球団合同トライアウトに参加するが獲得する球団がなく引退。
2009年4月より、母校・出水中央高の教諭となって野球部監督に就任[4]。以降は野球部長となった。