青木実

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1954-06-20) 1954年6月20日(71歳)
身長
体重
176 cm
70 kg
青木 実
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市金沢区
生年月日 (1954-06-20) 1954年6月20日(71歳)
身長
体重
176 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1974年 ドラフト5位
初出場 1976年4月3日
最終出場 1985年7月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

青木 実(あおき みのる、1954年6月20日 - )は、神奈川県横浜市金沢区出身[1]の元プロ野球選手外野手)。

横浜高校では1971年秋季県大会準々決勝に進むが、石井昭男らのいた東海大相模高に敗退。翌1972年夏の県大会も準々決勝で東海大相模高に延長10回逆転サヨナラ負けを喫し、甲子園には届かなかった。卒業後は日産自動車に進む。エース長谷川勉を擁し1974年都市対抗に出場するが途中交代、1回戦で新日鐵堺山口高志松下電器から補強)に0-1で完封負けを喫する[2]。同年のドラフトで5位の指名を受け、翌1975年電電関東の補強選手として都市対抗で優勝。同年暮れにヤクルトスワローズへ入団。

入団時の監督だった広岡達朗に足のスペシャリストとして抜擢され一軍に定着するが[3]、ほとんどが代走・守備固めで、ゲーム終盤にチャーリー・マニエルに代わって登場することが多かった[1]。しかし1981年には外野手のレギュラーであった若松勉ジョン・スコットがシーズン開始から間もなく立て続けに故障。5月末から一番打者、中堅手として69試合に先発出場(通算打席の半分近く、通算安打の半分以上をこのシーズンに記録)を果たす。同年は34盗塁で松本匡史を抑え盗塁王に輝いた[4]

しかし、打撃が弱かったためレギュラーに定着できず、以後のシーズンは成績が尻すぼみとなり、1985年のシーズン終了後現役を引退した。引退後はスポーツ用品販売会社に就職した。2019年現在は東京神宮リトルシニアのコーチを務める。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1976 ヤクルト 274137471101020010300121.189.250.270.520
1977 15006000000120000000----------------
1978 912826175000501531010050.192.222.192.414
1979 68423685000513230300141.139.205.139.344
1980 62272513400040651010091.160.192.160.352
1981 1043062824475114197163412721203533.266.301.344.645
1982 8614012921315114177211910192.240.287.318.605
1983 713631175000501123020041.161.212.161.373
1984 261284000000242020020.000.000.000.000
1985 8333000000000000010.000.000.000.000
通算:10年 558635577137132176216726793219333131199.229.274.289.563
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

記録

背番号

  • 50 (1976年 - 1985年)

脚注

関連項目

外部リンク

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