青根

神奈川県相模原市緑区の地名 From Wikipedia, the free encyclopedia

青根(あおね)は、神奈川県相模原市緑区大字

概要 青根, 国 ...
青根
大字
北緯35度32分19秒 東経139度07分43秒
日本の旗 日本
都道府県 神奈川県の旗 神奈川県
市町村 相模原市
行政区 緑区
地区 津久井地区
人口情報2020年(令和2年)10月1日現在[1]
 人口 496 人
 世帯数 196 世帯
面積[2]
  36.376239926 km²
人口密度 13.64 人/km²
設置日 2006年平成18年)3月20日
郵便番号 252-0162[3]
市外局番 042(相模原MA[4]
ナンバープレート 相模
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地理

緑区の南西部に位置している。

河川

歴史

かつては、津久井郡津久井町の大字であった。

沿革

  • 2006年平成18年)3月20日 - 市町村合併により、相模原市に編入され、相模原市津久井町青根となった[5]
  • 2010年(平成22年)4月1日 - 相模原市の政令指定都市により、相模原市緑区青根となった[6]

法印の首塚

かつて甲斐の武田と相模の北条に挟まれていたこの地に、法印の首塚という史跡がある。武田軍が永禄十二年(1569三増峠の戦いより引き上げ、甲斐の国へ戻る際、北条側についていた山伏日向薬師)が武田の一団を襲った。山伏たちは敵の戦力を削ごうと奮戦するも、ついには全滅に至った。[7]

この塚は、青根の住民たちが討ち取られた山伏たちの首を供養したものだと言い伝えられている。[8]

折花姫伝説

甲州征伐において小山田氏は主家である武田家を裏切り、征伐後織田家によって一族は滅亡へと追いやられていた。小山田一門である小山田八左衛門は、折花姫とその近習を連れて丹沢の山中へと逃げていった。一行が青野原より青根へ差し掛かるころ、ついに八左衛門達らに織田家の追手が襲いかかる。八左ヱ門は折花と翁、姥を逃がし、己は追手を一手に引き受けて道志川のほとりで息絶えた。逃げ延びた折花は青根に入り、大室山の麓、神之川へと向かった。丹沢山中をかき分けいよいよ神ノ川に差し掛かろうとしたとき、またもや追手が行く手を阻む。共の姥は姫と翁を逃がし時間を稼ぐも、追手はその後も翁を殺害、折花はついに神ノ川の淵へと身を投げたという。[9]

世帯数と人口

2020年(令和2年)10月1日現在(国勢調査)の世帯数と人口(総務省調べ)は以下の通りである[1]

さらに見る 大字, 世帯数 ...
大字世帯数人口
青根 196世帯 496人
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人口の変遷

国勢調査による人口の推移。なお、2005年までは、津久井町の情報を掲載している。

さらに見る 年, 人口 ...
人口推移
人口
1995年(平成7年)[10]
857
2000年(平成12年)[11]
785
2005年(平成17年)[12]
659
2010年(平成22年)[13]
563
2015年(平成27年)[14]
591
2020年(令和2年)[1]
496
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世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。なお、2005年までは、津久井町の情報を掲載している。

さらに見る 年, 世帯数 ...
世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[10]
245
2000年(平成12年)[11]
237
2005年(平成17年)[12]
241
2010年(平成22年)[13]
229
2015年(平成27年)[14]
223
2020年(令和2年)[1]
196
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学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年5月時点)[15]

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[16]

さらに見る 大字, 事業所数 ...
大字事業所数従業員数
青根 32事業所 164人
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事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

さらに見る 年, 事業者数 ...
事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[17]
32
2021年(令和3年)[16]
32
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従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

さらに見る 年, 従業員数 ...
従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[17]
174
2021年(令和3年)[16]
164
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交通

施設

その他

日本郵便

脚注

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