須賀古麻比留
8世紀の蝦夷の有力者
From Wikipedia, the free encyclopedia
人物
諸学説
古麻比留が昆布を納めていた陸奥国府は、年代的に、現在の宮城県仙台市に位置する郡山遺跡にあたる[1]。閇村とは、地名としては後の閉伊郡にあたり、三陸海岸に面した地である[2]。かつては、当時の日本の支配領域からあまりに遠いという感覚から、閇伊地方への建郡を疑う見解もあった[3]。しかし、青森県八戸市の田面木平遺跡の竪穴建物から7世紀後半の須恵器などが出土すると、三陸海岸北部がこの頃既に中央と強い関係をもっていたとみなせるようになった[4]。
閇村に建てられた郡は内国の郡とは異なり、緩い貢納関係で律される蝦夷郡にあたると考えられる。
史料的には7、8世紀に蝦夷が多く上京して朝貢したことが知られており、それが9世紀になると陸奥・出羽両国に対するものに変わる。8世紀段階の令制国に対する「貢献」の記事は、この須賀古麻比留の一族に関するものの他には、渡島蝦狄(北海道の蝦夷)によるものだけである[5]。この当時の地方官衙への貢納は、支配関係が弱い人々に課されているのではないかとする説がある[6]。