頭陀寺城
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遺構
遺構は1945年、アメリカ軍による空襲と艦砲射撃で、頭陀寺の本堂(法堂)、仏殿、三重塔、行者堂、庫裏、御影堂、仁王門などとともに壊滅した。
広さは約1町(109m)四方で、ほぼ土豪の一般的な大きさで、頭陀寺自体を含めると、広さについては、もっと大きかったのかもしれない。かつて、城の周囲は田となっており、戦国時代の頭陀寺城は、通称「松下屋敷跡」(別名:田中屋敷)といわれる場所の地下80cmにあることが、平成13年(2001年)10月の発掘調査でほぼ明らかになっている。また、焼き討ちにあったことを裏付ける炭跡も確認されている。
井戸跡からは大きな硯石や高級青磁の破片が発見されており、松下氏は交易商人でもあった可能性がある。
頭陀寺町第一公園の、わずかに土塁の面影を残すところにある「松下屋敷跡石碑」は、松下氏の屋敷神を祀る、「松下稲荷」の本殿のあった場所で、かつては応神天皇と敦実親王を祀っていた所である。松下稲荷は頭陀寺の境内に移転した。
