頼賀は富士山興法寺歴代[注釈 1]のうち第52代に数えられる人物であり、村山三坊のうち大鏡坊を継承した衆徒である。
天正11年(1583年)7月に頼賀は大鏡坊を継承している。また同年の頼賀の発給文書によると、富士先達である者の檀那場を保証するなどしている[注釈 2]。これは大鏡坊の代替わりにあたり、従来の権利を追認したものと目される。
大鏡坊を継承する者は「頼」を通字としており、例えば第50代は「頼慶」[3]で、頼賀の先代にあたる第51代は「頼恵」である。また『富士山伝記并興法寺歴代』によると頼慶の弟が頼恵で、頼慶の子が頼賀とある[4]。