顕忍

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顕忍(けんにん)は、戦国時代から安土桃山時代浄土真宗本願寺派僧侶伊勢国桑名郡長島願証寺5世。諱は佐尭、右兵衛督と号した[1][2]

佐尭
没地 伊勢国桑名郡野田脇
概要 顕忍, 諱 ...
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生涯

願証寺3世・証意の子とも弟とも伝わる[1]。証意は長島一向一揆を率いて織田信長と敵対し、元亀2年(1571年)に示寂。顕忍は若干11歳で法統を継承し、権律師に叙せられた。

顕忍の代も引き続き織田氏との対立が続いたが、天正2年(1574年)織田勢の本格的な侵攻があり、一揆勢は長島城を中心に防戦したが叶わず、9月29日に降参した。しかし信長はこれを許さず一揆勢の殲滅を図ったため、顕忍も城外の野田脇で自害した。享年14。このため願証寺は一時断絶となった[3][4][5]

異説

天正2年(1574年)に自害したとされる顕忍だが、実は生き延びて近江国日野の長島山願証寺の開基となったとする異説がある。この説よれば、顕忍は長島陥落の際に日野の領主・蒲生氏に匿われて存命し、天正11年(1583年)に日野に願証寺を再興。一時、蒲生氏に従って伊勢松坂に移ったが後に日野に帰り、慶長13年(1608年7月27日に亡くなったという[6][7][8]

一方で顕忍が伊勢長島で戦死した説によれば、日野願証寺の開基は顕忍の弟(あるいは甥)の准恵であるとする[6][8]

脚注

参考文献

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