飛び出した日曜日
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東宝は、戦時中の軍協力体制下から立体映画の研究を続けており、東宝技術研究所にて立体映画システム「トービジョン」を完成させていた[6]。戦後、その技術はうち捨てられたままだったが、本作品の公開前からすでにアメリカでは立体映画『ブワナの悪魔』(1952年11月30日現地公開)が大ブームとなっており、これを聞きつけた東宝では同作品の国内公開に先行して立体映画を公開すべく[5]、再びトービジョンを活用して本作品と『私は狙われている』を企画・制作した[1][5]。
トービジョンのシステムは、2台の連動キャメラを使ってダブらせた映像を、劇場で配られる赤・青のセロハンをつけた紙製眼鏡「ポロライザー偏光メガネ」をかけることにより[6]、あたかも画像が浮き上がって見えるというものである[1]。連動キャメラによる撮影は、円谷英二が行っている[1][2]。「ポロライザー偏光メガネ」は長時間使用すると目が疲れるため、一巻フィルム(約10分)の短編作品となっている[1]。
映画監督の村田武雄は、東宝の製作本部長だった森岩雄から「外国製の立体映画の封切りよりも、一歩先駆けてトービジョンを公開したい。急いで完成して欲しい」と厳命を受けたものの、技術的な部分は円谷を信頼するほかなく、打ち合わせを数回行ったうえで脚本をまとめ、撮影の現場で初めてトービジョンの説明を円谷から受けたという[6]。
トービジョンは大変客受けが良く、村田はさらにストーリーを膨らませた面白い映画をと、円谷とアイディアを出しあっていた。ところが、森からは「ご苦労様でした。立体映画の先覚者になれて結構でした。これで東宝がアメリカ製より先に日本で立体映画を封切ったと映画史上に残りましたから、これでもういいんです。立体映画を今後二度と製作する意思は毛頭ございません」と穏やかに言われてしまった[6][1]。村田は「だって次はどうなるんですか?」と聞いたところ、「いえ、二度と作りませんから、ご苦労様でした」と慇懃無礼に断られた。村田は気落ちし[6]、円谷ともどもがっかりしたという[1]。
こうして日本初の立体映画は2本限りとなったが、その後に村田と円谷は特撮映画の企画を考え、村田は前年に円谷が考案した「化け物のようなクジラが東京を襲う」という映画のアイディアを森に再提出している[1]。この企画は実現しなかったが、素案として1954年(昭和29年)の『ゴジラ』に発展することとなった[1]。