飛鳥井雅望

From Wikipedia, the free encyclopedia

飛鳥井雅望

飛鳥井 雅望(あすかい まさもち、天保13年5月3日1842年6月11日〉 - 1906年明治39年〉4月21日[1])は、幕末から明治時代にかけての公卿伯爵

安政4年(1857年)、侍従に任命され、新内裏両殿の障子の色紙の和歌題を撰する。明治16年(1883年)、殿掌を拝命時、翌年に伯爵を授けられる。明治19年(1886年)に致仕したが、華族会館蹴鞠保存会が設置されると宗匠となり、師範として尽力した。

明治39年(1906年)に亡くなった際、後嗣が無かったため一旦襲爵権を失ったが、明治42年(1909年)に実弟の恒麿に改めて叙爵された[2]

官歴

系譜

脚注

出典

Related Articles

Wikiwand AI