飛鳥井雅典
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幕末、廷臣八十八卿列参事件に加わったほか、武家伝奏を務めた。旧暦文久3年2月(1863年)、国事御用掛となり、同年3月の賀茂社行幸及び4月の石清水行幸に供奉した。同年の八月十八日の政変に際しては参内、他行、他人面会を停められたが、ほどなく赦されて朝議に復した。慶応2年7月(1866年)には大坂城に病臥中の徳川家茂見舞の勅使を勤め、同年12月には徳川慶喜の将軍宣下に際して勅使としてこれを伝宣した。慶応3年12月(1868年1月)の王政復古により公武合体派として参朝を停められ、翌明治元年正月(1868年)の明治天皇元服を機に赦されたが、権大納言を辞任した。同年及び明治2年(1869年)の東京行幸に供奉し、明治4年11月(1871年)には宮内省に出仕した。