飾磨県
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概要
後年作成された1872年(明治4年)旧12月の行政区画地図における飾磨県
明治4年7月(1871年8月)の廃藩置県により旧姫路藩に設置された姫路県を母体として、同年11月に播磨国内の各県が統合されて新たな姫路県が成立、その1週間後、同県は県庁所在地の飾磨郡から飾磨県に改称された。この短期間での改称の理由として、宮武外骨は『府藩県制史』において、旧姫路藩は譜代の佐幕藩であったため、県名として姫路の名称を使うことが明治政府によって嫌われたためであるとしている。ただし、宮武説は学説として認められたものではない。
県庁は当初、姫路城三の丸にあったが新暦1876年(明治9年)に城西部の薬師山に移転。兵庫県との合併後に姫路赤十字病院となるが、2002年(平成14年)に移転・解体された[1][2]。
1876年(明治9年)、府県統廃合の原案を練っていた内務卿・大久保利通は、国家的見地から、兵庫港を国際貿易港としての中心的な役割に発展させるため、当時まだ小規模だった兵庫県に、物産豊かな飾磨県を編入することを構想。統合は実現され、飾磨県は廃止に至る。
1880年(明治13年)頃、飾磨県の再設置運動が活発化したが、実現することはなかった。
