馬上義太郎

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馬上 義太郎(まがみ ぎたろう[1]、まがみ よしたろう[2]1902年9月15日[3][4] - 1971年1月6日[3][4])は、日本ロシア・ソビエト文学研究者、翻訳家

東京府東京市浅草区浅草千束町(現・東京都台東区千束または同区浅草)のうなぎ料理屋の家[注釈 1]に長男として生まれる[3][4]。生家跡で「エロス堂書店」を営む一方[6]1928年松竹キネマ蒲田撮影所に開設された「脚本養成所」(後に「松竹映画脚本研究所」と改称)の研究生(第1期生)を経て、脚本部の客員として従事[7]1931年3月、東京外国語学校専修科(露語)卒業[8]ナウカ社に勤務。兵役で中国北部に出征、帰国後は東亜研究所[9](または嘱託)としてソ連の新聞、放送の翻訳に従事。戦後は東京都千代田区役所に定年まで勤務。戦前から勤務を終えて帰宅すると机に向かう勤勉な生活を送った[4]。ソ連の映画・演劇の紹介で先駆的な役割を果たし、また、晩年は児童・動物文学の翻訳を数多く行った[1][4]68歳没。墓所は文京区白山安閑寺にある[4]

著書

  • 『ソヴエト映画』(京王書房) 1947年
  • 『空と陸と海』(アリストフ原作、民友社、世界少年叢書 11) 1950年

翻訳

論文

脚注

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