馬場孝
From Wikipedia, the free encyclopedia
大学時代
昭和第一学園高等学校、日本大学出身。
高校では水泳をするつもりだったが、プールがなかったため陸上部の入部を希望した。しかし、体が小さかったため、初めは入部を認めてもらえなかったという。3年時にインターハイに出場したが、決勝では腹痛を起こして途中棄権だった[2]。
高校卒業後は松屋百貨店に就職した。2月の20kmロードレースで日本最高記録で優勝し、中央大学陸上競技部監督の西内文夫や日本大学陸上競技部監督の森本一徳から勧誘を受け、最終的には社会人1年目に世話になった田中茂樹の出身校である日本大学に進学した。
1年時の第34回箱根駅伝では5区を走ると、先輩の田中茂樹が持つ区間記録を1分47秒更新する区間新記録をで区間賞を獲得し[3][4]、日本大学の総合優勝に貢献した[5]。
2年時の5月3日に行われた1958年アジア競技大会最終選考会の10000mで29分57秒8の日本新記録を樹立[6][7]。同年のアジア競技大会10000mで金メダルを獲得した[8]。第35回箱根駅伝でも2年連続の5区を走り、区間賞は逃したものの区間2位の記録で走った[9]。
しかし1960年ローマオリンピックのマラソン日本代表を目指していた3年時の6月、練習中に踏切の枕木で滑って転倒し、レールに右足を強打。大腿四頭筋を断裂する大怪我を負い、1ヶ月半入院することになる[10]。退院後は再び入院前と変わらない練習を行ったため完治することはなく、3,4年時は箱根駅伝には出場できず、目標としていたオリンピックの出場も叶わなかった。
大学卒業後
大学卒業後は明治製菓に就職し、選手兼コーチとして青森東京駅伝などで活躍した。また、その後は日本大学陸上競技部の監督を務めた[11]。