馬場憲治
日本のライター、カメラマン、タレント (1951-)
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来歴・人物
神奈川県鎌倉市出身。東京都立新宿高等学校から[1]、早稲田大学に進学。学生時代は学生運動に没頭。新宿高校時代に制服の自由化と受験偏重教育に反対して行った「校長室乱入・校長軟禁」に関係した[2]。その時の仲間には、音楽家坂本龍一や日本銀行から政治家に転じた塩崎恭久がいる[注釈 1]。
大学卒業後、ホリプロに入社。森昌子の現場マネージャー、石川さゆりの担当宣伝部要員を経て、1981年に石川と結婚。
退社後、フリーライターとなり、『GORO』(小学館)、『週刊プレイボーイ』(集英社)、出産準備雑誌のさきがけ『ピーアンド』(小学館)、アウトドア雑誌『BE-PAL』(同)等の創刊に関わる。また編集の仕事を通して学んだことを活かしカメラマンとしても活躍。1981年に『アクション・カメラ術』(ベストセラーズ、part1・part2。ちなみにpart3は別人によるもの) を出版。パンチラなどの盗撮や彼女のヌード写真を自分で撮影しようと提案するこの本は100万部のベストセラーとなる[3]。馬場は高額納税者としてランキングされ、ベストセラーズの社屋の柱の1本は、この売り上げによるものと言われている[注釈 2]。こののちは、テレビ・ラジオ番組にも出演し、タレントとしても活躍するようになる(後述参照)。
私生活では石川とは1989年に離婚。これは芸能界における平成最初の離婚と言われている。一人娘の佐保里は石川が引き取った。
2001年から1年半、新宿高校時代の同級生だった塩崎に頼まれ、公設第一秘書を務めた[2]。
京都府の情報通信会社の社外取締役を務める傍ら、Yahoo!セカンドライフのサポーターとして執筆活動を行った。
編集者の仕事を通してプロカメラマンになってしまったという凝り性の性格は趣味にも表れ、ゴルフではあるプロゴルファーのゴーストライターとして執筆、渓流釣りではあるメーカーのフライロッド(釣竿)のテスターを務めたほど。
目下の趣味は自転車。愛車はイタリアメーカーPINARELLO社の物だそうである。
芸能活動
久米宏のラジオ番組『土曜ワイドラジオTOKYO』(TBSラジオ)では取材兼リポーターとして活躍。
日本テレビから独立した徳光和夫の初代マネージャーを半年務め、徳光とテレビ東京の蜜月関係[注釈 3]を築いた。座付き作家、座付きフロアーディレクターをパッケージするという方式は、馬場のアイデアによるものだった。
1984年10月スタートした日曜朝の情報番組『徳光和夫のTVフォーラム』(日本テレビ)で徳光、岡田美里と共演したことをを皮切りに、1989年10月スタートの『所さんの目がテン!』(同)では、鈴木君枝とともに初代リポーターとなる。科学を分かりやすく説明するときの知性派キャラと、積極的に被り物や女装をするなどのコミカルなキャラとの二面性で人気を博した。1997年に矢野明仁・魚住りえとの交代で、鈴木と共に『目がテン!』を勇退。その後は『NNNニュースプラス1』(同)などに出演していた。
著書
- 『アクション・カメラ術 盗み撮りのエロチシズム』ベストセラーズ〈ワニの本〉、1981年1月。ISBN 978-4584004203。
- 『アクション・カメラ術 part2 エロチシズム最前線!』ベストセラーズ〈ワニの本〉、1981年5月。ISBN 978-4584004302。
- 『ただ今、3世代4家族13人同居中 群体生活のすすめ』広済堂出版、1989年6月。ISBN 978-4331502662。
共著
- 馬場憲治、石川さゆり『うちの佐保里姫 石川さゆりの愛・結婚・出産』小学館〈セブンブックス〉、1984年8月。ISBN 978-4093060080。