駿台雑話
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受容と展開
『駿台雑話』は鳩巣自身も生前から予想していたことであるが、賛否の両方がある。例えば稲葉黙斎は『鶴林玉露』と『駿台雑話』を並べて、「この二書を読めば、物事の本質を理解することに役立ち、世の中の変化に通じて、色々と得るところがある」としている[4]。一方で、湯浅常山は「伊藤仁斎や荻生徂徠を批判しているが、彼らを妬んでいるだけだ」としている[5]。
近代以後、『駿台雑話』は思想と文章を同時に勉強できるテキストとして、教科書や副読本に採用された[6]。明治から昭和を通じて、旧制中学校の国語読本の約8割が教材として利用している[7][8]。換言すれば、中等教育を受けた国民のほとんどが、『駿台雑話』の内容に触れた機会を持った可能性があるということになる[9][10]。また、こうした国語読本における実態を反映して、『駿台雑話』の本文テキストや注釈などの関連書も多数刊行されている[7][11]。しかし、第二次世界大戦での日本の敗戦によって『駿台雑話』自体の受容は一気に低調し、1950年代前半に刊行された4つの教科書を最後に、『駿台雑話』は忽然と姿を消した[12][13]。これは『駿台雑話』の一つの特徴であった「忠義」や「節義」といった概念自体が忌避されたことや、「現代文」の比重が高まるに伴って「古文」の教材が精選されてしまったことに問題があるとされる[14]。
川平敏文は『駿台雑話』の受容史を踏まえて「優れた古典というものは、時代に寄り添いつつ、再解釈されながら生き延びてきた。そうした真の古典となる素質が『駿台雑話』には十分にある」と評している[15]。
