高倉永福
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権大納言・高倉永敦の子として誕生[1][2]。同母兄・高倉永重の養子となり、家督を継ぐ[2]。当初は季任(すえとう)と名乗った[1][2]。
霊元朝の寛文5年(1665年)叙爵[1]。延宝5年(1677年)民部権大輔に任ぜられると同時に永福(ながよし)と改名する[1]。貞享5年(1688年)従三位・非参議に叙せられ、公卿に列する[1]。元禄8年(1695年)参議、翌元禄9年(1696年)正三位、元禄16年(1703年)権中納言、宝永2年(1705年)従二位、正徳5年(1715年) 正二位、享保2年(1717年)権大納言と順調に昇進する[1]。翌享保3年(1718年)権中納言を辞して以後は散位となり、享保10年(1725年)死去[1][2]。享年69[1][2]。戒名は隆興院徳誉照性常光[2]。
甥(同母兄永重の子)の永房が家督を継いだ。