高倉通
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通りの名前は、平安時代この通り沿いに藤原氏の別邸である高倉殿があったことに由来する[3]。当時は沿道に貴族の邸宅が多く並んでおり、例えば三条高倉に邸宅を構えた以仁王は高倉宮と称された。しかし応仁の乱以降通りは衰退し、戦国時代にはこの通りが下京における町の東限となっていた。その後、天正年間に豊臣秀吉の京都改造事業に伴って再開発される。
かつては下立売通まで通じていたが、1708年(宝永5年)に御所が拡大したため、そのあおりを受けて丸太町通以北の区間が消滅した。消滅した町域にあった町家は鴨川東岸の仁王門通へと移転させられたが、その際開かれた通りが現在も新高倉通として現存している。
1523年(大永3年)から1673年(寛文13年)にかけての一時期、頂妙寺が沿道にあったため、頂妙寺通とも呼ばれていた[3]。
現在は京都の中心部を走る生活道路である。通りは仏光寺通‐高辻通間のごく短い区間と七条通から八条通の区間を除いて一方通行であり、五条通から上珠数屋町通および八条通以南が南行き、それ以外が北行きとなっている。