高原に列車が走った
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製作経緯
『キャプテンウルトラ』や『ザ・スーパーガール』などのプロデューサーとして知られる植田泰治は[7]、東映定年退職後の2017年現在も、映演アニメユニオン執行委員長や治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(国賠同盟)などで活動する共産党員であるが[7]、植田は当時、組合活動家を配転させるために作られた東映東京制作所に所属していた[7][8]。東映東京制作所は1982年に『Gメン'75』の制作が終わり『ザ・サスペンス』が始まると仕事がなくなり、このセクションを潰したいと考えた岡田茂東映社長(当時)は強権発動を考えていたが、植田泰治が職場防衛のため、「賭けをさせてくれ、映画を作らせてくれ、賭けに負けたらしょうがない、東映が生き残るためには」と岡田に申し入れた[8]。アタらなくても儲かる「空海システム」、国労、動労に前売りをはかせると訴え、「じゃ、作ってみろ」と製作が決まった[7][8]。
植田は「バイクに乗ってタイマン勝負をするような先生を演じた美保純のキャラクター設定は『ザ・スーパーガール』の影響がある」と述べている[7]。監督の佐伯孚治は植田の組合仲間[7]。1964年に『どろ犬』で監督デビューした後、大川博東映社長(当時)の家にデモをかけ、先頭に立って干された人物[7]。映画は20年ぶりで『どろ犬』は悪徳警官物であったため、正反対の内容の作品となった[8]。
キャスト
興行形態
東映セントラルフィルムの配給により1984年9月29日、東京新宿東映ホール1他で封切り公開された。