髙崎寛之

日本のサッカー選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

髙崎 寛之(たかさき ひろゆき、1986年3月17日 - )は、茨城県結城郡八千代町出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。現在はサッカー指導者および解説者を務める傍ら、実業家農家)としても活動しており、信州Farm Land(株式会社TGR)代表を務めている。2018年より茨城県八千代町観光大使[1]。妻はモデルの辻彩加[2][3]

カタカナ タカサキ ヒロユキ
ラテン文字 TAKASAKI Hiroyuki
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-03-17) 1986年3月17日(40歳)
概要 髙崎 寛之, 名前 ...
髙崎 寛之
名前
カタカナ タカサキ ヒロユキ
ラテン文字 TAKASAKI Hiroyuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-03-17) 1986年3月17日(40歳)
出身地 茨城県結城郡八千代町
身長 188cm
体重 78kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
2001-2003 日本の旗 古河第三高校
2004-2007 日本の旗 駒澤大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2011 日本の旗 浦和レッズ 22 (3)
2009 日本の旗 水戸ホーリーホック (loan) 46 (19)
2012 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府 27 (5)
2013-2014 日本の旗 徳島ヴォルティス 55 (9)
2015-2016 日本の旗 鹿島アントラーズ 13 (0)
2015 日本の旗 モンテディオ山形 (loan) 9 (0)
2016 日本の旗 松本山雅FC (loan) 37 (16)
2017-2019 日本の旗 松本山雅FC 100 (26)
2020 日本の旗 FC岐阜 32 (8)
2021 ベトナムの旗 サイゴンFC 5 (0)
2021 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府 3 (0)
2022-2025 日本の旗 FCアンテロープ塩尻 27 (8)
1. 国内リーグ戦に限る。
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来歴

学生時代

7歳上の兄の影響を受け小学2年生でサッカーを始める[4]。高校時代は全国大会への出場はなく、駒澤大学に進学。巻佑樹と2トップを組んだ。3年次の2007年関東大学サッカー連盟の関東選抜Aチームに選ばれ、デンソーカップチャレンジでは最優秀選手となった。

2007年夏季ユニバーシアードに日本代表として参加。 駒澤大学の同期からは菊地光将大宮アルディージャ)、塚本泰史大宮アルディージャ)、八角剛史ギラヴァンツ北九州)、小林竜樹ザスパ草津)がJリーグに進んだ。

プロサッカー選手時代

2008年浦和レッドダイヤモンズと契約。リーグ2試合に出場した。

2009年水戸ホーリーホックにレンタル移籍。当初は荒田智之、荒田の負傷離脱後は吉原宏太との2トップでJ2で5位の19得点をあげた。そして12月25日2010年より浦和レッドダイヤモンズに復帰することが発表された[5]

2010年、リーグ戦では開幕からベンチにも入れない状態が続いていたが、3月31日に行われたナビスコ杯予選リーグBグループ第1節、対磐田戦で浦和復帰後初となる公式戦先発出場を果たした。それ以降も基本的にFWがエジミウソンの1TOPで固定されていた為、中々出番に恵まれていない状況が続いていたが、9月5日に行われた天皇杯2回戦、対東京国際大学戦で浦和では初となる公式戦ゴールを記録。その後、9月12日に行われたJリーグ第22節、対FC東京戦で今シーズンリーグ戦初出場。10月2日の第25節、対大宮戦では今季リーグ戦初先発出場・J1初ゴールを記録した。

2012年から、ヴァンフォーレ甲府へ完全移籍。ハーフナー・マイクの穴を埋める役割として期待され開幕スタメン出場。

2013年徳島ヴォルティスへ完全移籍[6]。シーズン前半はスタメン出場もあったが、シーズン後半は主に試合終盤の途中出場が多く、2ゴールに終わる。同年2月4日、モデルの辻彩加と入籍[2][3]

2014年、J1において自身通年最多かつチーム最多の7得点を挙げ、J1初挑戦で低迷するチームにおいて孤軍奮闘した。その後12月18日鹿島アントラーズへ完全移籍することが発表された[7]

2015年3月18日AFCチャンピオンズリーグ・アウェイでの広州恒大戦では移籍後公式戦初得点を決め、4月7日のホームでの同戦では、試合終了間際に決勝ゴールを決めた。しかし、リーグ戦では結果を残せず、8月4日、鹿島戦での出場はしないことを条件にモンテディオ山形へ期限付き移籍が発表された[8]

2016年1月8日、山形からの期限付き移籍期間が満了し、再び鹿島に復帰することが発表された[9] が、3月30日松本山雅FCへの期限付き移籍が発表された[10]。松本では加入直後からレギュラーに定着し、リーグ戦においてチーム最多となる16得点を挙げた。

同年12月7日、右足関節インピンジメント症候群と診断され、6日に手術を受け、全治2ヵ月であることが発表された[11]

同年12月30日、松本への完全移籍が発表された[12]

2017年にはリーグ戦で自己最多タイとなる19得点を挙げた。

2018年12月11日、第1子(長男)の誕生をチームを通じて報告[13]

2020年1月17日にFC岐阜への完全移籍が発表された[14]。同年12月23日、Vリーグ1サイゴンFCへの完全移籍が発表された[15][16]

2021年1月、第2子(長女)の誕生を報告。同8月24日、2021年シーズンのVリーグがCOVID-19パンデミックのために中止になったことを受けてサイゴンFCとの契約を解除し、日本に帰国したことをTwitterで報告した[17][18]。9月3日、練習生として古巣のヴァンフォーレ甲府のトレーニングに参加していることが山梨日日新聞によって報じられた[19]

同年10月1日、ヴァンフォーレ甲府加入が正式に発表された。9年ぶりの復帰となる[20]。シーズン終了後、契約満了により退団[21]。12月9日には、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場[22] したものの移籍チームは決まらなかった。

実業家(農家)に転身

2022年3月2日、現役引退することが発表された。これはあくまでプロ選手としての引退であり、アマチュア選手として北信越フットボールリーグFCアンテロープ塩尻に所属し[23]2026年よりコーチングスタッフを務めている。ほか長野県内などのサッカー中継にて、不定期にサッカー解説者としても携わっている。

また、引退前から経営しているカフェ(2023年5月閉店)や、長野県山形村にて白ヒラタケ栽培や農産物生産を営む「信州Farm Land」を引退後に設立。2024年に株式会社TGRとして法人化し、実業家(農家)としても兼業している[24]

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008浦和26J120300050
2009水戸11J24619-004619
2010浦和16J1513021102
20111523031213
2012甲府9J2275-10285
2013徳島13252-10262
2014J13073000337
2015鹿島15130--130
山形3490-22112
2016鹿島150000-00
松本29J23716-113817
201794119-104219
2018417-10427
2019J11805110241
2020岐阜J3328--328
2021甲府29J230--30
通算日本J1 92101718411715
日本J2 22068-5122569
日本J3 328--328
総通算 3448617113537492
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その他公式戦

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国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2008浦和2600
2015鹿島1562
通算AFC 62
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出場歴

代表歴

タイトル

クラブ

ヴァンフォーレ甲府
松本山雅FC

個人

  • デンソーカップ・最優秀選手(2007年)

出演

バラエティ

脚注

関連項目

外部リンク

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