高床式倉庫
高床倉庫とも。高床建物のうち、倉庫として使用されたものを指す。
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概要
日本
日本列島における高床建物の遺構は、縄文時代から検出例がみられ、青森県青森市の三内丸山遺跡で縄文時代中期(紀元前3000年 - 2000年)の高床建物遺構が検出されている。また富山県小矢部市の桜町遺跡では、縄文時代中期末(紀元前2000年)の高床建物の建築部材が出土している[2]。
倉庫としての高床建物は、弥生時代に穀物を蓄える施設として一般に普及したと考えられており[3]、神社建築様式の1つである神明造はこれから発展したとされる[4]。代表的な遺構としては弥生時代中期の登呂遺跡(静岡県)や弥生後期の吉野ヶ里遺跡(佐賀県)がある。現在でも、アフリカ中央・南アジア・東南アジアに同様のものが見られる。
なお、銅鐸(香川県で出土と伝わる)や銅鏡(佐味田宝塚古墳〈奈良県〉)、土器(唐古遺跡〈奈良県〉)に高床建築が描かれているが、倉庫としての建築であるかは不明である[3]。
高床倉庫は奄美大島や八丈島、さらに北海道のアイヌ民族の間で近代まで建造されていた。奄美大島にはごくわずかであるが、現在も使われているものが奄美市などの民家に存在する。北海道の漁村には、海岸の傾斜地に「ハネダシ」と呼ばれる高床倉庫が建造されていた。
- 北海道の漁村で、海岸の傾斜地を生かして建てられた高床倉庫「ハネダシ」。床には海側からの出入り口がある「北海道開拓の村」で撮影。
ヨーロッパ
高床倉庫のルーツは不明であるが、狩猟民族の移動式架台であったと考えられている。洞窟の壁画にもプラットフォームと思われる構造物が見られる。ねずみ返しの有無は地域により異なる。英国・スペインでは2000年ほど前にはすでに存在していたことが遺跡・文献より確認されている[5][6][7]。
スペイン、カンタブリア山脈北側のガリシア州全域(ガリシア語:hórreo オレオ)、アストゥリアス州中部から西部(アストゥリアス語:horruまたはhorriu オルまたはオリウ)では多くの高床倉庫を見ることができる。その他の地域ではほぼ皆無である。ガリシアで現存するものは石造・RC造・組積造がほとんどで、もとはトウモロコシ倉庫であったが、現在では住居の物置として用いられている。リバデオ川を境に様相が一変し、アストゥリアス州ではほぼすべて木造となる。
- オレオ(ポンテベドラ)
