高懐徳

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高 懐徳(こう かいとく、926年 - 982年)は、五代後周から北宋初期にかけての軍人。字は蔵用。本貫鎮州真定県陳橋の変で最初に趙匡胤に黄袍を加えた人物であり、杯酒釈兵権で兵権を剥奪された四大功臣の最後の一人[1][2]

天平軍節度使の高行周の子として生まれた。顕徳元年(954年)、後周の世宗が即位すると、東西班都指揮使・鉄騎軍都虞候に任じられた。その年に高平の戦いでは先鋒を務め、北漢軍を撃破し、殿前都虞候に昇進した[1]

建隆元年(960年)、陳橋の変に最初に趙匡胤に黄袍を加えて万歳を三唱し、即位を主導した。宋が建国されると、侍衛親軍馬歩軍都虞候・河陽節度使に任じられた[1][2]

建隆2年(961年)、杯酒釈兵権石守信慕容延釗らとともに酒宴に招かれ、翌日ただちに病と称して兵権を返上した。その後に忠武軍節度使・帰徳軍節度使を歴任した。淳化3年(982年)に病没した。享年は57。太宗は「忠毅」と諡し、使持節・彰徳軍節度使を追贈した[1][3]

家族

脚注

参考文献

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