高林寺 (奈良市)
奈良県奈良市にある寺院
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歴史
当寺の元は、宝亀年中に藤原魚名の娘が中将姫に仕え尼となり、現高御門町の居室を尼寺となし、中将姫の父・豊成の廟塔を守ってきたものである[3][1]。
が、治承4年(1180年)に平重衡の南都焼討によって焼失し、永く再興されなかった。東大寺三昧堂旧本尊の千手観音像は、昔高林寺本尊であったという[3][2]。
天文3年(1534年)に、現在の地に尼室を移し、寺を再興した[2]。この地はもとより、豊成卿の屋敷跡であったとも言われ[2]、豊成卿の廟塔があったという[1]。その際、浄土真言兼学より、融通念仏宗に改宗した[3][2]。
奈良茶人で連歌師の北端宗陳も、この寺の北端に住んでいた[3][2]。
文化年間に寿保尼を迎えて、寺運栄え発展していったと言われる[3][2]。寺では寿保尼を中興初代とし、7代寿明尼は本堂・門など寺観の整備に尽力した。現在は中興9代目となる[2]。
伽藍など
本堂
内陣中央須弥壇に2つの厨子があり、右に豊成卿、左に中将姫の坐像をまつる[2]。脇壇には阿弥陀如来立像・十一面観音立像・銅造の誕生釈迦仏・薬師如来坐像が安置される[2]。左方脇壇には地蔵菩薩立像・弘法大師坐像・明治天皇尊牌などを安置している[2]。
豊成・中将姫の石塔婆
かつて当寺には豊成卿・中将姫の石塔婆があった[4][1]。永禄年間、松永久秀が多聞山城を築くにあたり、塁を築くためこの塔石を奪おうとした[4][1]。当寺に居住していた連歌師・廬箏斎心前は、以下のような連歌発句を久秀に送ったので、連歌に理解のある久秀は奪うのを止めたという[4][1]。
曳きのこす 花や秋さく 石の竹
その他
本堂前には豊成卿の廟所がある[2]。